(^_-)-☆東プラ精工 [仕事]

1150 実名をだしても差し支えないと思い、実名で書きました。東洋プラスチック精工(株)TPSの50年史が突然、家に届けられていた。何故、私の元へ届けられたかというと、主な理由は組合長を二年間と前後4年間組合の執行部に属していたからです。労働組合創設の記事は出ていますが、その翌年には教育宣伝部長として執行部にはいった。翌年副組合長、三年目に組合長になっていた。大卒、はえ抜き第一号入社から3年目で労組の執行委員長になっていたからです。

 この50年史の中に、私がいた時代に関して、大きな間違いが二つあります、初代組合長の現在についてです。それと、6ナイロンコの字型プロファイルの製品名が「エッジグロメット」になっていますが、『エッジング』と『グロメット』の二種類です。当時、開発に時間がかかったと書いてありますが、私は3カ月で作りますと納期を明言して、一か月遅れの4ヶ月で作りあげた。現在でもこの製品については私の関係会社がその当時のお客様北川工業のお手伝いしています。TPSでは現在作っていません。詳しくは次のウェブサイトで。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0201.html
この他にも小さな間違いが点在しています。40年以上前のことですから、仕方がないでしょうが、事実と違っているので、重要な二つだけ書かせていただきました。
 日本アンテナのデルリン(POM)チューブ、昭和丸筒のABSボビンスリーブ、臼井国際産業へは6ナイロンチューブ、厚木プラスチックへはポリカペンダント用PCチューブ、http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage007.html
その他、6ナイロン、11ナイロン、12ナイロンチューブを当り前に作り、POM(ジュラコン)の異形品はソフトクリームの製造販売機の前面に使われた。今でも、同じ構造なので、ソフトクリームを孫に買ってあげるたびに懐かしく思う。ナイロンプロファイルの一号は、66ナイロン二硫化モリブデン30%入り馬蹄形のチェーンコンベアーの滑りガイドに使われたりしていた。岩谷産業が間に入って、名古屋機工という会社に納めました。エッジング、グロメットもそうですが、ナイロンのプロファイルはアメリカのポリペンコ社製が在って、形状と全量は、その物まねです。しかし、私の製法は、物まねではありません、明らかに、全く違います。全てが、日本で最初の製品です。全て、私が製品化したと言って過言ではありません。何日も徹夜をしたし、休日にもほとんど会社にいた。今の妻とデートの後も会社に戻った。

 私が入社した時、素材類(丸棒や板)はドイツの技術を導入して作られていました。しかし、ドイツ人の技術で作られた装置はごつ過ぎる上に、樹脂漏れが多く、また、焼けが発生しやすかった。私は、そのあとドイツからの技術を否定して改良した。金型は簡素化され、樹脂漏れロスも焼けも少なくした。その方法が今でも使われていて、その後の改良はないと聞いている。
 私が係わったのは昭和41年から48年(1966~73)まで、わずか7年間でしたが、最期の二年間は、N6、N66,PCなどにガラス繊維(ロービング、チョップドストランド)入りのペレットを作る部門まで任されていた。炭素繊維まで入れたペレットも作った。押出のベルト基材とシート以外の全てを見ていた。売り上げでは、私がリーダーでいた部門が会社を引っ張っていた。ロスが多いと言われていたが、開発商品ばかりなので最初から100%近い収率とはいかない。ただし、利益率は群を向いていた。
 IMG_2972.JPGIMG_2974.JPG
 50年史を手にして、大変懐かしく思いました。私が在籍していたころ、私の人格が形成された頃、の記事しか読みませんが、何十年もの間、思いもしなかったことがこの本によって思い出されます。送ってくれたことに感謝します。

  
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0