(^_-)-☆二回目のプール [思い出]

 2398 思い出の夏の一コマ。そのつもりで水泳パンツを持っていったので、孫たちと一緒にプールに入った。一周、200mほどある水が流れるプール。初めてではないので、知ってはいるが、浅い。1mほどしかない。顔を上げたままの平泳ぎは足がついてしまう。顔をつけながら泳ぐしかないし、仰向けになって泳げば、周りが見えないから、他人にぶっつかってしまうし、クロールなどやれば、それこそ、一かきで、前の人にぶっつかる。要するに、泳げない。歩くしかない。泳ぎたいなら、流れるプールでなく、普通のプールに行くしかない。という、大浜公園プールでした。
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このプールは私が子供の頃にも既にあった。友達が偶にいっていったようだが、学区からは、自転車一時間掛かったので、私はいったことがなかった。もっぱら、学校のプールへ行くか、ほとんどは、安倍川へ行っていた。土手の構造が、ところどころに、流れを弱めるためだろうか、流れと直角に土手の出っ張りがあった。その下流側に,深い淀みがあった。そこが、プール代わりになり、子供が集まっていた。土手から飛び込んだ、競争をしたり、鬼ごっこをしたりて遊び、泳げない子は、年上の人につかまえられて、放りこまれたりもしていた。私も小さい頃、上級生に、両氏と両腕をつかまれて、振られて、縁に放りこまれたものでした。そんな遊びをしているうちに、泳ぎが、何も、意識しないで、できるようになった。

また、今は、取っていないと思うが、砂利の採集が盛んに行われていた。パワーシャベルで深く掘っていたので,その跡は、絶対、足がたたない深いプールのようになっていた。格好の水泳場になっていた。

海水浴に行くなら、三保ノ松原で知られた、三保海岸に行くか、袖師海岸だった。袖師には東海道線の駅が、夏だけ使われていた。清水と興津の間だった。今は、ないでしょう。というより、袖師海岸自体が、埋め立てによって、清水のコンテナ港になってしまっている。駅から海岸までの道の両側に食堂や土産物屋や海で使う道具らなどが並んでいたし、海岸には、多くの海の家があって、大いに賑わっていた。最後に行ったのは、高校の時の遠泳だった。対岸の三保まで泳いだ。真夏の世の夢である。

これらのことが、いま、良く行くパンガンダランに夢は繋がっている。
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ヲータースライダーのチケットの自動販売機。
 

タグ:水泳 思い出
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