(^_-)-☆その人に [人]

 2475 大学を卒業したら、皆さん、お待ちかねだったと思っていた同級会を開くことにしていた。そんな時に、ばったり、同じバスでその人と会ってしまったのでした。その約、一か月後、5月だった。静岡のある喫茶店で、待ち合わせて、現状を話し始めた。その人、会社は止めた、結婚するためだった。職場結婚だという。9月何日に結婚式だという。あなたは、どうしてる?というので、就職をして沼津の方に住みだした。そして、決まっていたわけではないが、結婚を前提に付き合っている人はいて、これから、資金を蓄えなければならない、と、そんな話をした。かなりのショックだった。大学を卒業し、自立できる資金ができたら、その人に心境を打ち明けようと、心の一部で思っていたからだった。そのあと、同級会を一月にするつもりだが、その人に手伝いを頼めなかった。“15年後、皆さんの生活が落ち着いたころに次の同級会をする” と約束もした。他に何を話したか覚えていない、一時間ほど一緒にいて、“幸せにね”といって、別れた。後ろ姿を見送った。その人は振り返らなかった。9月何日、その日は会社で休日出勤をしながら、その人の幸せそうな結婚式を想像していた。56人中40人以上集まったが、全てが、まだ結婚していない人でした。その一月の同級会にその人は現れなかった。

それから、15年後 37歳、当然、皆さん、結婚し、小学生や中学生の子供もいて、家庭の事、仕事のことも、落ち着いて安定時期に入っているころだ。私も結婚をし、自分で仕事を始め、身の回りのことも順調に推移していた。案内状を出すために現住所を出来るだけ、知らなければならない、そこで、その人の実家に電話し、その人の苗字と電話番号を聞いた。静岡にいた。早速、電話をし、“約束した通り、同級会をするので手伝ってほしい”と頼んだ。待っていたかのように、声が弾んでいた。その声からすると、家庭や生活が順調だと感じたが、打ち合わせをしたいという。その人の方から、会いたいという気持ちが伝わってきような気がした。ちょっと、様子が違うかなとも思った。多くの人にとっては油に乗りきっっている時期だと思う。

まず、15年ぶりの再会、場所は覚えていない。目的の同級会を理由にして、二人きりで、同級会をやったようなもの、夫の事、子供のこと、私が聞いても仕方がない事ばかり、話したかったのでしょう。自分の境遇、環境を洗いざらい、話した。話す相手として、その人は、私からの連絡を待っていたように、でした。その人の中では、私は、そういう、存在になっていたのかな、と、ちょっと、複雑だった。

二人きりで会うのはそれが最期になった。女性の現住所のメモを貰って、私が二人の名前で、皆さんに案内状を送った。その半年後の同級会は先生も楽しみにしていただいたようで、30人ほど集まった。出席できなかったが、現住所が刑務所の奴もいて、かなり、中学3年1組同級生、ピンキリの人間模様になっていた。私は、会社も個人も新聞に紹介されるようになっていた。一応、太田君ならね、と言われる状態にはなっていたので、良かったと思うし、その人をがっかりさせることもなかったので、よかったと思う。

それから、約15年後、私が、インドネシアに行ってしまうことになるとは、その人、思っていなかったと思う。しかし、私は、50過ぎたら、社長を止めて、静岡の片隅から、外国、東南アジアに出ようと既に決めていて、それを実行した。その当時は妻にも話していなかった。
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チビトゥンの金型屋からの帰り、ジャラン カリマランの渋滞ぶりとジャラントールのチカランバラットの出口のガラ空きの様子 
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