(^_-)-☆その人と [人]

 2474 その人も大学へ行くのかと思っていたが、就職をした。私は静岡から離れた。夏の最終の試合の時に、卒業してからも連絡先を知らせ合おうということになっていた。こんなことがあった。大学一年の秋、葡萄の季節、私が住んでいた甲府に行ってみたいという話になり、友達と一緒に、その日、何時の列車に乗って行く、駅まで迎えに行くという約束がった。
 その列車の到着を友人と二人で、ホームで待った。しかし、その列車に乗っていなかった。朝9時頃だった。次の列車が到着するまで、一時間以上ある。約束の列車に乗っていなかったということは、もう、来ないと判断してしまった。今なら、携帯で連絡をするが、当時は、連絡しようがなかった。友人の手前、彼も行ったことがない、その人が来たら一緒に行こうと思っていた昇仙峡へ2人だけで行ってしまった。全く、面白くない二人のブラブラ散策だった。彼には気の毒なことをしたと思っていたし、彼も、私の傷心を分かっていた。
夕方、下宿に戻ると、おばさんから、私を訪ねてきた人がいたよ。直ぐに、どこかへ行ってしまったが、という。ショック、その夜、その人が家に戻っただろうと思う時間に下宿の電話を借りて掛けてみた。

友人が遅れてきて、その列車に乗れなかった、次の列車で行ったが、あなたがいなかったので、住所の下宿を訪ねてみたが、そこにもいなかった。大学辺りと神社と街を歩いて、静岡にもどったという。

その年の暮れ、静岡で会って、その時の事を謝るとともに、何かの映画を一緒に見た。オリオン座(とっくになくなっているが、当時は洋画の封切館)だった。ジョージキャキリスとチャールトンへストンが出ていたことを覚えているが、映画の内容は上の空だった。それを最後に、その人と会うことはなくなったし、手紙のやり取りも、なんとなく、しなくなった。私の方は、身近なことで、かなり、忙しくなっていたし、その人の事を思う瞬間はほとんど無くなっていた。意識をしなくなった。
大学生活を謳歌した。クラブ活動や研究を自由な雰囲気の中で、充分にやったと思う。多くの友人、学芸学部との付き合いでは、多くの交際も生まれた。

その人も、多分、身の回りの事で、充実しているだろうと、思う。それぞれの世界があった。私に方は、卒業する時までには、何人かの学校の先生候補者の女性と知り合うようになり、スキーやスケートに一緒に出かけたり、家庭訪問をしたり、その家(ブドウ園の娘が多かった)の手伝いをしたり、付き合いも多かった。将来を語り合ったりもした。私を慕ってくれる後輩も何人かいた。

そして、静岡の東部にある会社に就職が決まった。そして、機会を見て、その人に同級会をするための手伝いを頼もうかなと思っていた。
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蓮の花、ピンクは昼前に閉じてしまうが、白っぽい方は、閉じない事を、最近知った。
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会社の押出しラインがやっと4ラインになった。そのための準備を休日の今日、した。
   

Pergi Untuk Kembari” Elloの歌です。数年前に大ヒットした歌ですが、その20年以上前の他の人が歌っていたのを聞いたことがあった。これも、私に心境に似ていたと思った。しばらく、どこかへ行ってくるよ、また、会いましょう。といった内容です。
https://www.youtube.com/watch?v=4M9AC5cbhg4&list=RD4M9AC5cbhg4#t=62
Walaupun langit pada malam itu Bermandikan cahaya bintang Bulanpun bersinar betapa indahya Namun menambah kepedihan oh
 Ku akan pergi meninggalkan dirimu Menyusuri liku hidupku Janganlah kau bimbang dan janganlah kau ragu Berikan senyuman padaku
 Selamat tinggal kasih Sampai kita jumpa lagi Aku pergi takkan lama Hanya sekejap saja Ku akan kembali lagi Asalkan engkau tetap menanti

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