ジャワ島随一の大河 [インドネシア]

Solo.jpgBengawanSolo.jpgブンバワンソロBengawan Soloの作詞作曲をしたグサンさんが亡くなった。私が小学校の頃“ブンガワ~ンソロ、清き流れ”と音楽の教科書の載っていてよく歌ったものでした。インドネシアへ来て仕事をするようになり、従業員の皆さんと食事会やレクレーションの会で、私が歌うと皆さんから拍手喝さいでした。“可愛いあの子は誰のもの”という“ノーナマニスヤンプーニャン”という歌も、小学校の時に習った歌でした。
 インドネシアについての知識はラルレシアとこの歌でした。いずれも、現地を訪れて確認をしました、その後、何回もいってきました。
 ブンガワン・ソロという歌は、その流域に伝わる伝説を詩にした歌ですが、この、クロンチョンという音楽のメロディーが何とも言えない哀感と共にリズム感がある独時な貴重な印象を与えてくれる。インドネシアには色々な民族の色々な地方独特のメロディーがありますが、私はクロンチョンが大好きです。
以下、ジャカルタ新聞からの抜粋です。グサンさんは一九一七年十月一日、ソロ(現地名スラカルタ、中部ジャワのジョクジャカルタの東北に位置し、車で一時間ほどの距離、)生まれ。演劇や歌を披露する楽団に参加し、第二次大戦中は日本軍の慰問団としてジャワ、スマトラ島各地で歌った。日本軍政下、故郷から東ジャワへと流れるソロ川(ブンガワン・ソロ)を歌った「ブンガワン・ソロ」が日本兵の心をとらえた。戦後、松田トシ(敏江)が日本語訳で吹き込んだレコードが大ヒット。南国歌謡ブームを巻き起こし、日本で最もよく知られる東南アジアの流行歌となった。これまでに演歌、ジャズ、ロック、ポップス歌手らが取り上げ、日本をはじめ海外で最も有名なインドネシアの歌として親しまれている。
 ブンガワン・ソロはジャワ島最長の川。雨期は氾らんし、乾期には枯渇する川の雄大さと、そこに生きる人々の様子を歌にした。ポルトガル起源の伝統的なクロンチョンではなく、欧米のポップスの影響を受けた新しいスタイルのクロンチョン。
 ほかにも、スラバヤ市内の橋で去って行った恋人を待つ心境を歌う「ジュンバタン・メラ(赤い橋)」、思い出の人を回想する「サプタンガン(ハンカチ)」など、戦争当時の男女の離別を歌った作品が多い。
Lagu Bengawan Solo, ciptaan Gesang :
Bengawan Solo, riwayatmu ini sedari dulu jadi perhatian insani musim kemarau, tak seberapa airmu di musim hujan air meluap sampai jauh … mata airmu dari Solo terkurung gunung seribu air mengalir sampai jauh akhirnya ke laut … itu perahu, riwayatmu dulu kaum pedagang s’lalu naik itu perahu
はっきりってブンガワンソロ自体は観光として行くような場所ではない、汚れた茶色い水が滔々と流れているだけで、音楽の時間で習って知っているので、訪れる日本人も多いようですが、皆さん、来なければよかった、という印象が強いようです。私もそういう印象でした。写真を取る対象も殆どなかったので、あまり、写真を取っていません。

    
タグ:作詩 作曲 有名
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