(^_-)-☆貢献可能 [仕事]

 1702 客先になる可能性がある会社のスタッフが訪問してきた。会社の環境チェックが主な目的でした。私がやっている仕事で、現在、何とかインドネシアで日系企業の応援になればいいと思って、開発した製品を提供できれば、私の希望がかなえられるという筋書きになる予定だ。とにかく、インドネシアでは無い技術を使って作る製品だし、今後も、この製品を作ることができる会社は、現れそうもないので、是非、この機会を生かしたいと思っている。この仕事をやるためには、他の仕事はどうでもいいと思っているくらいだ。
 日本人二人とインドンシア人3人である。インドネシア人は、以前から、交渉を持っていて、かなり親しくなっている。日本人は始めてある。しかし、インドネシア人から、多くの話は聞いているようで、あまり、私自身のことや、やっていることについて説明をする必要は無かった。最初から、親しげに話はできて、私が受ける印象は非常によかった。今、私が作ろうとしている製品に興味を持ってもらったし、他の製品についても、私にやってもらいたいといっていた。結果上々であった、来週、早い内にその客先を訪問すると約束をした。

 二日続きでN社へ行った。昨日は仕事の話、今日は、インドネシアへ進出したばかりの静岡の会社の人を紹介するためだった。とにかく、フリーパスである。セキュリティーに、よ!!、といって、車を止めることなく、駐車場へいきなり行ってしまう。そこらあたりにそこの会社の人間が居れば、だれもが、アパカバール、と言いながら、手を差し出してくる。二階の事務所へも、すれ違う人たちと挨拶をしながら、上がってゆく、事務所の入り口に入ると、大声で、こんにちは、と言えば、全員がこちらを向く、面白い存在だと、我ながら思う。ヤント君と今日は一緒だった。
IMG_2961.JPGIMG_2962.JPG
MMのN社の第二工場、私が一番最初に手伝った元K社だ。この中で5年間、押出しの仕事の準備から、追い出されるまでいた。そして、身売りの紹介、仲介も私がした。
   

タグ:以前 現在 有望
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

(^_-)-☆会社訪問 [仕事]

 1680 富士山がどの範囲か知らないが、三保の松原までオマケつきで、世界遺産に認められた。何も申請することは無いのに、それなりに日本の象徴として世界中に認められていたのだし、その位置づけは、富士山が吹っ飛んで、無くなってしまうまで変わらないでしょう。今さら、何を望むのでしょうか、十分人は大勢来るし、それなりに、観光業で生計を立てている人たちの為にもなっている。世界遺産に認められる必要など無かったと思う。

静岡についてタクシーに乗った。運転手曰く、昨日、三保の松原ヘ、大阪からのお客さんを案内したが、普通なら、一時間など掛からなおところだが、二時間かかったよ。待っていて、戻るまで5時間かかったとか、そんな話を、聞きもしないのに言っていた。何度も行ったことがあるので、いろいろなルートを知っている。南に向かって久能海岸を東に進むのが一番近いと思うが、半島の先端の東海大学水族館に向かい途中を右折する、そこからが、道が狭くなり、一本道だが、多分、大渋滞で、進まないのだろうと思う、駐車場の面積が足りないのだろうと思う、場所に依っては路肩駐車も認めていると思うが、駐車できない車が、身動きできなくなっていると思う。何故か、世界遺産になったからです。富士山の世界遺産に抱き込まれるように認められたのです。認めてもらうように県を上げて請願した結果、認められたが、観光客殺到の対応が全くできていなかった。私は、小学校の頃から、多分、二十回以上は、いったことがあるが、何代目かの“羽衣に松“と”遠景の富士山“それだけ?叱らせそうだが、松原も衰退してしまっているし、海岸も今はどうか知らないが去年の今頃は、コンクリートブロックを積み上げて何かの工事をしていて、富士山の写真を撮るのにダイなしだった。今はどうでしょうか。世界遺産としては荷が重いのではないかと思う。
IMG_2695-.JPG
それに、春から夏は雲が掛かったり霞が掛かったりで、富士山は見えない、駿河湾フェリーボートからも同じこと、駿河湾から富士を眺めるには冬が一番、雪もあるしね。冬ならこんな感じ。桜エビ漁に一斉にスタート。
IMG_2689.JPG
東名高速で厚木付近まで行ってきたが、途中、裾野インターと御殿場インターで出る車が路肩渋滞をしていた。それぞれ500mくらいの列になっていたと思う。8月末まで登山できる。ギリギリまで、頂上まで渋滞登山が続くでしょう。前に人のお尻を見ながらの登山をするしかないようだ。

富士山が世界遺産に登録された。登録を望むのは何故でしょうか、いい場所だということを世界中の人々に知ってもらいたい?何故、知ってもらいたいのでしょうか。観光客や登山者が増えて、それに関係する人達が、金銭的に潤うからでしょうか?そうであったら、動機としてあまりにも自己中心主義。自然保護や環境保護、現状維持を目的とするなら、世界遺産に登録されると、どんなメリットがあるのでしょうか。
日本のあちこちが、世界遺産に認められているが、その直後の状況は、伝えられているが、そこで、それ以降、どうなっているのかの追跡、分析報道が無い。富士山も同じことでしょう、今だけでしょう、注目されるのは、富士山も三保の松原も、世界遺産になる前の状態で、十分、適当に知られていたわけで、一年も過ぎないうちに、その以前の状態まで熱は下がるでしょう、その方がいい。
IMG_2695.JPG
会社訪問で樹脂の事を勉強するのが目的だった。最新の情報を知りたかった。
 

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

(^_-)-☆ASKA [仕事]

 1600 新しい金型が出来てきた。この金型に大きく期待する。今までの金型とは、ちょっと違うぞ、という金型だ、新しいひらめきが、三か所になり、それらが、期待通りの効果を発揮するかどうかが、問題だ。逆に、これでうまくできないと、慌ててしまうことになる。一寸した運命の金型だ。日本で作ったこといがある製品だが、金型代に50万円以上投資した。今回は、10万円ほどで、日本で作った製品と同じものを作ろうとしている。運命の一週間になる。アラーでもお釈迦様でもキリストでも、何でもいいから、成功の後押しを祈りたいが、まったくの無信心なので、今さら祈っても、無視されるので祈らない。

 ASKA,テレビ番組ではありません。私が場所をお借りしているASKAという会社の宣伝をします。私が全く苦手とする仕事です。何が何だかよくわからないが、機械なら何でも、や電気関係のメンテナンスが主な仕事で、それらの販売もするし、輸入もする。中古機械を輸入して使えるようにメンテをしてから、客先に収める。勿論、セッティングもするし、調整もするし、初期設定もする。
 変わったところでは、色々な店の内装や準備もする。日本食レストランやラーメン屋などのレイアウトや厨房の設定などなどです。

 私は別の会社にいた時にはASKAさんに、何回か電気関係の配線や冷却水の供給設備などをお願いしたことがあった御縁で、お世話になることなった。今までなら、アスカさんに頼むことが、社内で出来るわけで、日本から私の設備を持ちこむのも、それらの設置や配線、配管などなど、社内のみなさんが時間を作ってやってくれたので、大いに助かった。

 とにかく、なんでも屋です。社歴は12年過ぎたかな?客先の業種にこだわることはない、どんな会社でも、どんな規模でも、取りあえず、話を聞いて、見積もりを出すようです。私にしてみると、不思議な仕事で、物を作るのではないので、生産計画や予定はないわけで、行き当たりばったりに、来た仕事をするだけなので、期間や場所、人数などばらばら、仕事が多ければ、人も増やさなければならないし、少なければ、調整をしなければならない、内部でやっている仕事は、設置のための準備だが、分解掃除や調整、さび取りや防錆処置など、バラバラ、良く手配が出来るなと感心する。朝のミーティング後、それぞれの場所へ散ってゆく、時には、早朝出発してしまう場合もあるし、休日、先方が休んでいるときに工事というのも普通にある。プロジェクト毎に人数が違うし、そのプロジェクトが終了すれば、また、次の仕事の為に編成をし直す、始まるのも終わるのもバラバラ、何がんだかよくわからない。どうなっているの、という感じ。
 押出しバカの私にはこんな仕事はできない、幅広い知識を持っていなければならないことは勿論だが、手配師のような手腕も無ければならない。会社にとっては、一つ一つが、多くの中の一つにすぎないかもしれないが、客先にとっては、唯一の重要アイテムだから、おろそかにできない。
IMG_1024.JPGIMG_1026.JPG
 再び、陥没した道の今の状態だが、二車線とも閉じられているので、反対車線を片方ずつ使っている。ところが、その使っている側は、二週間ほど前に修理を完了したばかりだが、陥没が出来始めている。バイクが端に寄って、陥没を避けているのが分かる。今週中に、今、直している場所と同じような酷い陥没状態になってしまうでしょう。

久しぶりに孫と話をした。
   

タグ:新手 確信 期待
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

(^_-)-☆ぼちぼち [仕事]

 1580 ぼちぼち、話が纏まってきている。現在まで見積もりを提出したうちの二社からPOが入った。これで、客先は三社になった。量的、金額的には、少ないが、とにかく、誠心誠意、対応してゆくつもりだ。歳でボケてきたんじゃないの、と言われないように。

昨日も、ある会社から呼ばれて行ってきた。製品は明らかにできないが、聞くところによると、数年前とは、製造品の種類が替ってきて、以前、全売り上げの50%以上だった製品が、今は20%くらいになっている。他の製品が増えたこともあるが、減った製品は中国や台湾企業の進出によって、価格で対抗できなくなっているから、政策として減らさざるを得ないという。彼らがまだできない製品を増やすしかないという。要するに今までやっていたものに固執していたら、ジリ貧になってしまうから、新しい物の生産に変えていかなければならない、それができなければ、生き残れない、ということでしょう。
日本ではとっくに厳しい、インドネシアの安い人件費?を使っても厳しくなっているのです。これからの若い担当者は、大変だなと思う。

その増産する製品に使う押出し品の現地調達を考えているが、今、押出し品を調達している地元会社ではそれを作ることができない。また、日系企業にも三社当たったができないと言われた。そのうちの一社から私の名前が出たとか。それで、私が呼ばれたのでした。

お会いして、今までの経歴を話し、最近、インドネシアで作った製品を見せた。なんとなく、反応が今一だったが、ローカルスタッフに私を紹介しておくということだった。

それが、今朝、その会社のローカルスタッフが電話をしてきて、今から直ぐに会いに行きたいが都合はどうかと言ってきた。何だか、急ぐ話の気配がしたので、予定があったが遅らせて待つことにした。時間通り、やってきた。サンプルを持ってきた。昨日、日本人が言っていた、インドネシアでは作るところが無いという製品だ。持ってきたのは中国製だとか、ぜひ、身近から調達したいので、やってほしい、昨日、持って行ったサンプルの中に似たような製品があった。

それがまた、超急ぐ話で、売り出しのスケジュールが決まっていて、それに従って、中国からの輸入のスケジュールを決めてある、その注文を出す前に、太田さんにサンプルを作ってしまってほしい、そうすれば、中国に注文しないで済む、という話。一か月半後には、マスプロに入りたいという。無茶苦茶な話である。しかし、彼らの熱意は伝わってくる、何とかしてやりたい。その日程で、何とかしてやることにした。今まで、結構、悠長にやってきたが、他の仕事を含めて、少し、スピードアップをしなければならなくなってしまった。パンガンダランで遊んできた余韻が消し飛んでしまった。

 今日でぼちぼちは終わりである。もう営業はしばらく慎む。
そういえば、ブロックMに“ぼちぼち”という日本食レストランがある。入ったことはないが、元の創造日本食の“塩梅”アンバイには何回か入ったことがあった。
IMG_0772.JPGIMG_0773.JPG
あるレストランの昼食、焼きそばオムレツ定食ときつねうどん定食、どちらも税込みで5万Rp,私にはどちらも量がちょっと多い。でも、日本食にしては安いと思う。
  
タグ:品質 責任 納期
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

(^_-)-☆タンゲランへ [仕事]

 1553 まだ、夜は大雨、久しぶりにタンゲランの交通渋滞の中に突入して、会社訪問をした。外環高速道路を使わずにジャカルタ、グロゴールからの一般国道を使ってみた。行きも帰りもタマンアングレックの横を通過する道である。10年以上前には、田舎から出てきてジャカルタへ行ったことがまだなかった従業員を十人以上キジャンに乗せて、ジャカルタ見物に連れてゆき、タマンアングレックでアイススケートをしたものでした。
1996年に初めてジャカルタを訪れた時に、空港からの高速道路で一番先に目にはいったのが、タマンアッグレックでした。今はその近辺から向かい側にも高層ビルが立ち並んでいるが、当時はこの付近にはこの四棟唯一だった。私にとっては、ジャカルタを象徴する建物です。今でも、このあたりを通るとジャカルタへ来たなと思う。
IMG_0231.JPGIMG_0231-.JPG タンゲラン方面に南進する、バスウエーが出来ているが、ほとんど無視されている、スディルマンなどのように厳格ではないらしい、バイクも車も普通に走っている。そして、トランスジャカルタバスの数は少ない。ほとんど、見かけなかった。フライ オヴァーの道が現れる、下道は信号が多いし、踏切があるので、上を通れば、時間が短縮できる。間もなく、左側に川が現れる。例の洪水の主原因になる川だ。川の名前は知らない。川には沢山の橋が掛かっていて、その向こうに工場がある、日系の工場も多い。しばらく行くと、高速道路の下をくぐる、外環高速道路だ、東へ向かえば、ジャゴラウィ方面、ビンタローやポンドックインダーの方向だと思う。そこを過ぎると、スカルノハッタ空港へ向かう道が右に現れる。距離的には直ぐそばだが、道は狭く、曲がりくねっていて、雨季には常時冠水する地帯なので、時間的には相当遠い印象になる道だ。

 またしばらく行くと、左に在った川を渡る橋になる、川が右になる。その手まえを右斜め前方に入ると、30年くらい前からインドネシアに進出しているいくつかの日系企業がある。ダンボール屋さんとかテキスタイルとか車の部品屋さんなどだが、この地の工場が手狭になって、別工場が必要になり、ほとんどの会社はジャカルタ、チカンペック高速道路沿いに第二工場、第三工場を持っている。

 その橋を渡るとタンゲランの町へ入ったという印象になる。勿論、ここまで来るのに、タマンアングレックに東側からムラックに向かう高速道路に乗れば、タンゲランの町の東側を通るし、リッポカラワチもタンゲランの中だ。このあたりには20年以上前からの工業団地がいくつかあり、日系企業と地元企業が混在している。道が狭くて、塀が高いのが印象的、やはり、車やバイクの部品屋が多い。私はその中の二社を訪問した。
 帰ってくるまでほとんど一日掛かってしまったが、久々にごった返したタンゲランを再び体験できてなんとなくホッとした。帰り道は大雨だった。

 チカラン方面からタンゲランへ行くには三つのルートがある。今日私が通った道、タンゲランの北側から入る。タマンアングレックの南側からムラックへ向かい高速道路を使う、タンゲランの東沿いに三つのインターがある。目的地に依って出口を間違わないようにしなければならない。もうひとつは、ブカシバラットを過ぎたところから外環高速に入ってボゴール方面だが、直ぐにポンドックインダー方面にむかい、ムラックへ向かい高速道路に入るルートです。タンゲランと言っても広いので、目的地によって、ルートを選択した方がいい。
 
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

(^_-)-☆初出荷 [仕事]

 1467 ようやく、始まりが始まった気がする。この会社から初めての出荷をした。時間がかかる、話があってから約三カ月である。私が手掛ける仕事は、話があってから最低出荷まで三カ月くらいかかるのが普通である。今回の仕事も昨年9月に見積もり依頼があったものだった。もうひとつ同じ時期に依頼がったものは、11月末にサンプルを提出してあるが、日本のOKを取らなければならないらしく、未だに返事がない。いつ評価が出るのか、こちらの人にも分からないという。待つしかない。或いは、そんなに急いでいないのかもしれない。そんなものだ。
12月中に二点、今月に入って三点、見積もりを提出してある。それらについても、いつ、見積もりについての返事はないし、金型製作依頼がいつ入るのかも全く分からない。それぞれの製品はインドネシアには生産している会社はない、すべてが、すでに書いたように、日本や中国やタイや台湾から輸入しているものである。中には、新しく、提案する製品の部品として組み込まれる予定の物もあって、採用されるかどうかも、分からないものもある。
とにかく、来る時は纏めてきたりもするので、なかなか、見通しというか、予定というか、計画を立てることができにくい。
それでも、見積もりを出してある製品が、今のままでは装置的に対応できないものもあるので、来ても来なくても、できるように準備をしておかなければならない。来たときに、実はできませんでは、洒落にならない。また、キャパシィティについても同じこと、一杯でできませんでは話にならない。なお一層の増設も考えておかなければならない。新たな投資も視野に入れて準備をする。何だか、余計なことで、やらなくていいこともしそうな気がする。店じまいというか、終わりが見えなくなりそうだ。
IMG_1643.JPGIMG_1642.JPG
ブンガ トランペットだと言っていた。なるほどと思うが、本当かどうかは知らない。
  

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

(^_-)-☆Pangandaranへの勧め [仕事]

1195 パンガンダラン付近の地図です。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage010.html
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage008.html
半島を中心に東西40kmくらい、合計80kmくらいの海岸沿いと山側(北側)20kmのエリアー内に見どころが沢山あるし、広大な稲作地帯やココナツヤシやゴムの木のプランテーションの様にインドネシアらしい風景を見ることもできる。滝の形態も様々です。海岸は幅広く、遠浅です。すべてがサーフィンスポットですし、観光スポットです。
 ジャボタベック(JABOTABEK)ジャカルタ、ボゴール、タンゲラン、ブカシやバンドゥン辺りに住んでいる日本人の方々へ、車で6~7時間(青の道)で行けます。ゴルフばかりやっていないで、また、プラウスリブ辺りに行っていないで、パンガンダランへ三泊四日くらいでぜひ行ってみていただき、インドネシアらしい雰囲気を楽しんで頂きたいと思います。ドライバーには一日10万Rp渡しておけば宿泊や食事代を含めて十分です。本人たちの費用はピンキリです。
 
カリマンタン ティムールへ行って、パンガンダランへ行って、日本へ行って、と、こんな感じで移動している。どこへ行くのも、すでに、ちょっと出かけるという感覚です。26日にインドネシアへ戻れば、すぐにまた、どこかへ出かける。おそらく、エアーチケットの予約は5月1日にはするでしょう。
IMG_3654.JPGIMG_3653.JPG
今回作った水槽と自動スパイラルカッター付き引取機、自動ナイフカッター付き引取機、巻取り機。スパイラルカッターはメイドインインドネシアの1号機です。二号機を発注済みである。バキュームボックス付き水槽に至っては15台以上作っている。今回、自動ナイフカッター付き引取機も作ったが、こちらは、10号機である。そして、もう二台、発注済みです。それぞれの価格は日本の有名押出成形ラインの装置屋さんの価格の三分の一です。
インドネシアでは私が指導したKI社(撤退)AF社、NA社で合計、水槽は15台、自動ナイフカッター付く引取機は12台、自動丸鋸カッターは7台、プロファイル成形溶融金型、冷却金型セットは20セット以上、PAやPC,POMなどのエンプラチューブ成形用の溶融金型、冷却金型セットは15組以上、PPやPEのどのオレフィンチューブ成形用の金型も10セット以上、それらの会社のために私のデザインで作ってある。それらの会社は、日本で押し出し成型をしているのですが、インドネシアで作っている製品は日本ではできない。日本のベテラン成形社員がインドネシアへ学びに来ている。私はベテランでなくて若者を勉強によこした方がいいじゃないかと提案していたのですが、いうことを聞かない。インドネシア人に教えてもらうには、素直に聞ける若者の方がよいに決まっているのに、それに、人件費も少なくて済むから、押し出し部門の経費が少なくて済む、利益を出しやすい。教えてもらう人の給料が教える人の給料の10倍以上取るのではインドネシア人はたまったものではない。せめて5倍ぐらいの給料の人をよこさないと、まずいんじゃないの?と、思う。だいたい、いずれの会社の時も、指導している私の給料が日本からくるできない日本人の五分の一以下なのだから、変でしょ?
それに、日本の装置は一ライン千五百万円もするのでは、海外企業に負けるに決まっている。私のような人が、海外で装置製造の指導もしているのですから。
   

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

(^_-)-☆自分の商品開発 [仕事]

1161 春分の日、知らなくて、休みでもないので、いつもの通りの時間に家を出たら、20分も早く会社へ着いてしまった。道が異常に空いている、何かどこかで事故でもあった、ここら辺までまだ、車が到達していないのだろうか、などと、考えていて、会社の近くになって、あっそうか、今日は祭日だった、と、気が付いた。
 昨日できなかった試作を再開した。いろいろと、ひらめきに従って、実行してきたが、限りなくOK品だろうと思われる形状に近づいている。まだ少し修正が必要なので、この製品については、今週で終わらせる。来週一週間で、まだ、見せていない製法を披露することにしたい。
 IMG_3059].JPGIMG_3059.JPG
昨日の光る粉(顔料)の話の続きだが、私が求めるのは押出成形品に混ぜることができる、あるいは、押出成形用原料にこの顔料が混ざっているコンパウンドかマスターバッチです。しかし、いずれも、全く、考慮されていない。射出成型しかこの世に成型方法がないような取り組み方をしている。シートにしても押出成形で作られていなかった。
そこで、私は、この会社のためにもこの顔料を使って、色々な組み合わせの押出成形をして、技術を確立したいと思うようになってしまった。光学的な試験、テストはこの会社が当然、やるはずです。私はサンプルを作ると共に、インドネシアで売れそうな製品を開発する。

もう一つの大問題はこの顔料が非常に高価であることと、効果を出すための含有量が10%以下にはならないことです。例えば、kg当たり2万5千円で10%混ぜればkg当たり2千500円です。ベース原料がkg200円なら、合計で2千700円になります。製品の重量が100gなら原料費だけで270円になります。その倍の価格で売り出したとしても一個の値段が540円になってしまいます。インドネシアでこの価格でも欲しいと言われる製品を開発しなければなりません。インドネシ人がレストランでナシゴレンとエステーマニスを頼めば、200円くらいです。それの三倍以上でも買いたいと思う製品です。こりゃ、ちょっと大変だと思うが、自信はある。

これからインドネシアへ進出する会社は自社製品を国内入りするか、受注生産なら、相当特殊な特徴を持っていなければならないと書いた。私は前者を狙っているのです。
  
タグ:元気 独特 成長
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

(^_-)-☆東プラ精工 [仕事]

1150 実名をだしても差し支えないと思い、実名で書きました。東洋プラスチック精工(株)TPSの50年史が突然、家に届けられていた。何故、私の元へ届けられたかというと、主な理由は組合長を二年間と前後4年間組合の執行部に属していたからです。労働組合創設の記事は出ていますが、その翌年には教育宣伝部長として執行部にはいった。翌年副組合長、三年目に組合長になっていた。大卒、はえ抜き第一号入社から3年目で労組の執行委員長になっていたからです。

 この50年史の中に、私がいた時代に関して、大きな間違いが二つあります、初代組合長の現在についてです。それと、6ナイロンコの字型プロファイルの製品名が「エッジグロメット」になっていますが、『エッジング』と『グロメット』の二種類です。当時、開発に時間がかかったと書いてありますが、私は3カ月で作りますと納期を明言して、一か月遅れの4ヶ月で作りあげた。現在でもこの製品については私の関係会社がその当時のお客様北川工業のお手伝いしています。TPSでは現在作っていません。詳しくは次のウェブサイトで。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0201.html
この他にも小さな間違いが点在しています。40年以上前のことですから、仕方がないでしょうが、事実と違っているので、重要な二つだけ書かせていただきました。
 日本アンテナのデルリン(POM)チューブ、昭和丸筒のABSボビンスリーブ、臼井国際産業へは6ナイロンチューブ、厚木プラスチックへはポリカペンダント用PCチューブ、http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage007.html
その他、6ナイロン、11ナイロン、12ナイロンチューブを当り前に作り、POM(ジュラコン)の異形品はソフトクリームの製造販売機の前面に使われた。今でも、同じ構造なので、ソフトクリームを孫に買ってあげるたびに懐かしく思う。ナイロンプロファイルの一号は、66ナイロン二硫化モリブデン30%入り馬蹄形のチェーンコンベアーの滑りガイドに使われたりしていた。岩谷産業が間に入って、名古屋機工という会社に納めました。エッジング、グロメットもそうですが、ナイロンのプロファイルはアメリカのポリペンコ社製が在って、形状と全量は、その物まねです。しかし、私の製法は、物まねではありません、明らかに、全く違います。全てが、日本で最初の製品です。全て、私が製品化したと言って過言ではありません。何日も徹夜をしたし、休日にもほとんど会社にいた。今の妻とデートの後も会社に戻った。

 私が入社した時、素材類(丸棒や板)はドイツの技術を導入して作られていました。しかし、ドイツ人の技術で作られた装置はごつ過ぎる上に、樹脂漏れが多く、また、焼けが発生しやすかった。私は、そのあとドイツからの技術を否定して改良した。金型は簡素化され、樹脂漏れロスも焼けも少なくした。その方法が今でも使われていて、その後の改良はないと聞いている。
 私が係わったのは昭和41年から48年(1966~73)まで、わずか7年間でしたが、最期の二年間は、N6、N66,PCなどにガラス繊維(ロービング、チョップドストランド)入りのペレットを作る部門まで任されていた。炭素繊維まで入れたペレットも作った。押出のベルト基材とシート以外の全てを見ていた。売り上げでは、私がリーダーでいた部門が会社を引っ張っていた。ロスが多いと言われていたが、開発商品ばかりなので最初から100%近い収率とはいかない。ただし、利益率は群を向いていた。
 IMG_2972.JPGIMG_2974.JPG
 50年史を手にして、大変懐かしく思いました。私が在籍していたころ、私の人格が形成された頃、の記事しか読みませんが、何十年もの間、思いもしなかったことがこの本によって思い出されます。送ってくれたことに感謝します。

  
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

(^_-)-☆選択で迷い [仕事]

1134 ある会社のトップと私がその会社の中で自由に仕事ができることで合意した。4月の中旬からその会社に赴任することになる。その前に装置、設備の輸入と私の就労ビザの収得の段取りをする。そして、今の日本の会社とは契約期間終了の3月末でお別れをする。延長の話しが出てこないことを祈る。厄介なことにはならないことを祈る。
 インドネシアで仕事を続けることにまったく迷いはない。日本と比較すると明らかにインドネシアの方がメリットが在る。原料の入手だけが日本国内有利、それだけですから。
それでは何で迷ったかというと、私の設備を置いて仕事をする場所がいろいろあるから、選択に迷ったのです。私の基本的考えは、私がやってみたい仕事が自由にできることです。それには、その装置の費用は私が負担します。原料も自腹で購入します。場所だけ使わせてもらえればいいのです。
1 日系企業で押出設備を持っていて、それだけしかできない会社へ入って、もっと仕事を取れるようにする。
2 押出の製品を購入して使っている会社へ入ってその製品をその会社内で作るようにする。
 3 貸し工場やルコを借りてそこで会社を作る。
 4 もう一つは、押出製品とは全く関係ない会社の空き場所を借りて研究開発をする。
1は対象が二社あった。一番自由に出来るのは3だが、場所費や充電設備で出資が多くなる。空いている場所を使わせてもらう代わりのその会社にとってもメリットある1と2は装置代だけの投資で済む。4を選んだのですが、数年前から声を掛けていただいていて、その会社自体が中古設備の輸入ライセンスを持っているし、機械のメンテナンスも請け負う会社です。私にとっては大変ありがたい話でした。何故、その会社にすることを迷ったのかというと、他の会社からの話しが継続していたからです。是非という話から始まって条件交渉していたが、装置を自由に使うと言うことではなかなか満足するまでには至らなかった。
IMG_2873@.JPG
 熱血みやぎ米、ひとめぼれ、ササニシキ。こんなトラックはインドネシアのどんな地方でも見ることができる。中古輸入トラックは日本からのものだけです。他の国の文字を見かけたことが無い。
IMG_2873.JPG 高速道路をまたぐ橋の袂にオジェックの待機場所がある。その橋を渡ってきたアンコット(ミニバス)や送迎バスからその場所で降りてオジェックを使ってどこか行くことはない。それでは、なぜ?高速道路を入ってきた地方からの路線バスの乗客がその橋の下で、頼めば降りしてもらえるのです。降りた人が土手を這い上がって来たところにオジェックが待機しているという次第です。

   
タグ:自由 投資 迷い
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感