(^_-)-☆ベアチュカイ [災害]

1608 Bea dan Cukai(税務署と税関)
港に着いても、なかなか、港から持ち出せない、空港へ着いても、同じこと。ここ数か月前くらいから、特に、遅くなったような気がする。これが間もなく、ラマダンに入れば、もっと遅くなる。シンガポール辺りから到着した貨物は、海の上に有った期間より、港に放っておかれる期間の方が長くなる。
日本からの荷物は、大体、海の上は20日くらいかかる。最速でも梱包や国内輸送、日本の港での待機を入れて、30日くらいでしょうか、その期間中でも、錆びやすい状態なら充分に錆びる、そして、タンジュンプリオク港に1週間とか10日以上置かれていれば、塩を含んだ空気にさらされ、錆が始まっている個所は、またたく間に、分厚い錆だらけになる。新品の装置、機械が見た目も無残な状態になってしまい、どう見ても、そのままでは、客に搬入できない状態になる。自分で購入したものでも、開けてびっくり、このままでは、とても、使えない、設置できないということになる。先ず、錆落としから始めなければならない。

真空パックできる物はするでしょう、防錆剤を塗布して、薄いプラスチックフィルムなどでラッピングをするでしょう。勿論、しないよりはいいに違いないが、梱包を解かれた状態で、放置されるケースが多いので、効果は限定的です。
そういう、ベアチュカイ(税務署、税関)が、のんびり仕事をする、狙いは、言わずと知れた、賄賂頂戴である。ということで、泣く子とベアチュカイに勝てない、と、昔から言われている?ので、泣き寝入りするしかない。
これは、ベアチュカイの始末が悪い意地悪の一つにすぎない。
IMG_5912.JPGIMG_5917.JPGIMG_5921.JPG
 私の恋人rafflesia patmaラフレシア パトゥマの写真中の傑作三点。
写真に困った時のラフレシア頼みですが、蕾三兄弟、希に木や枝から横向きに咲く、花弁の一つが開きだしたばかり、このような状態のラフレシアの写真を他に見たことが無いので、貴重だと私は思っている。
http://otaenplaext.net/newpage33.html
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page238.html
http://otaenplaext.net/newpage21.html
  
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(^_-)-☆孫と一緒 [災害]

 1524 成田に降り立った時の気温は、私にとって最適だった。17℃でした。静岡駅に降り立った時の気温はなんと28℃,暑すぎる。後で知ったが、日本での今日の最高温度だった。13:00頃、家に着いた。
東京でも静岡でも上下真っ黒の服を着た人々が目についた。多分、卒業や終了式の帰りなのでしょう。新幹線のホームも異常なほど黒が目立った。小学校は今日から春休み、4月から1年生になる下の子も幼稚園の卒業式だったそうだ。家に着いたときに、二人とも飛びついてきた。これから、十日間の複雑な気持ちの生活が始まる。それがわかっていて、帰ってこなければならない、しがらみがる。

またまた、新聞を開いたらいきなり南海トラフ巨大地震?の被害想定がどれだけ?最大死者、不明が35万人と想定?いい加減にしてよ、有識者の皆さん、私は有識者ではないですが、そんな想定はどこから来るの?どんどん、ふくらませば、いいというものではないでしょ。前代未聞の東北大地震、津波でも1万5千人くらい?関東大震災、火事で亡くなった人が大部分と聞いているが、10万人以上だった。それに比べて、なに?今回の想定、面白いのは、死者を10人、20人とか50人と想定されている地域がある。どこで、その人達、よっぽど、運が悪いのでしょうね。
最大があるなら、最低の被害想定をしたら、どれほどで済むのでしょうか、発表してほしいですね。それと、最大と最低の中間の平均値も出してほしいですね。出来れば、出来ると思いますが、死者行方不明者、被害総額や全壊家屋などの数字を正規分布で表してもらいたいですね。σも自動的に出るでしょう。

もうひとつ、今回発表には、時期についての予測は無かったようですが、マグニチュードと時期の相関があれば、それも含めて、起きるか確率を年ごとに向こう50年間、グラフにして出してほしい。2014年は何%2015年は何%2033年は何%といった具合にです。それに、Mいくつというのも付けてほしい。
都道府県ごとに出してもらえると、なおいいですね。

というのも、静岡県の人たちの多くは、すでに30年以上前から、東海地震がいつ来てもおかしくない、明日来るかもしれないと、警告されていて、そのつもりにならされて、色々な対策や訓練をしてきた、今は、相当、熱が冷めて、“少年とオオカミ“状態になっている。静岡に起きなければならないはずが、奥尻、神戸、長野、新潟、福岡、そして東北、半端じゃない被害の大地震と津波が襲っている。それらの全てが、静岡の様な何年以内に何%の確率で起きるという予測というか警告が無かった。この、いい加減さ、ていたらくさは、有知識者の反省を呼んだのでしょう。これではいけないと、思わされたのでしょう。そこで、彼らは、泥縄的に、そして、大きく想定しておけば、何かを言われる心配が少ないと思いようになったのです。大衆もその方が、やはりそうかと思ってくれると思うようになったのです。マスコミもその方が喜ぶと思うようになったのです。

とにかく、有識者の予測は、無駄使いをしているだけではなく、これからも無駄使いを増やそうと言うだけで、何の利益にならないし、幸福にも繋がらない。バカバカしくて、全文を読む気になれない。

IMG_0813.JPGIMG_0816.JPGIMG_0817.JPG 日本、早春の風景

  

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(^_-)-☆バンジール [災害]

  1469 バンジールBanjir洪水、ジャカルタ最北部のプルイットPuritアンチョールの西、高速道路の出口ならコタ、グロゴールに西の出口、そこから北の地帯です。98年の11月にボーリング場から靴を履いたまま逃げた、メガモール プルイットがある場所です。当時は住宅があまりなったが、現在は臨界のリゾート地を兼ねた高級分譲住宅地になっている。
今回のジャカルタ一帯の洪水騒ぎの中で一番、浸水地域と深さが酷かった。金曜日の大雨から四日目になるが、今朝のニュースでは、一帯の水はまだ1メートル以上でした。
ジャカルタ中心部のアパートやオフィスビルの地下駐車場はやっと水のくみ上げが終わったようだが、水に沈んでしまっていた車の撤去はまだこれからのようだ。面白いと言っては失礼かもしれないが、浸水した水をくみ出す目的で所有していたと思われるポンプ車(消防ポンプ車のような)が水に沈んでしまっていた。私も10年ほど前にスマンギのアストンホテルの地下駐車場に止めて置いた車が水に浸かりそうになったことがある。スディルマン辺りの地下駐車場は、雨季にはできるだけ駐車しないほうがいい。

 ブカシバラットの高速を出た正面、ジャイアントが入っている総合ショッピングモールが面している道より1m以上低くなっている。そこに浸水してしまった。向かいのメトロポリタンは何でもなかった。対照的である。水は今朝になって引いたようだが、被害は甚大、商品は全滅の上に、電気関係の設備のまったく使えなくなってしまったし、陳列棚などの設備のほとんど使えなくなってしまっている、商売再開は一カ月以上先になるだろうとインタビューに答えていた。

 雨が降らない日が土曜日から続いていたが、今日の昼過ぎからまた、降り出した。かなりの降りである。水がたまっていなくても、道の凸凹は、どんどん深くなり、多きくなり、数も増える。避けようがないので、ゆっくり通過するしかない。ゴヤンゴヤン(goyang-goyang揺れるという意味)渋滞も日増しに長くなっている。高速道路にも穴ぼこが沢山出来あがっている。
IMG_1650.JPG
 出来上がったばかりの信号、赤が120秒、青が7秒どうなっているの?設定をまだしていないなら、黄色の点滅にしておけば、良いのに。どうも、分からない。
IMG_1650-.JPG その信号の向こう側、左にある会社、バイクの2012年販売台数が2300台、ヤマハなど日本メーカーが99%以上、この会社、こんなに少ない数を、良く作っているなと感心する。別にハーレーのような豪華特殊というわけではなく、並のバイクである。実を言うとこのメーカーのバイクが走っている姿を見たことが無い、というか、確認したことが無い。

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(^_-)-☆何かある [災害]

 1465 ジャカルタ近郊、JABOTABEK(ジャカルタ、ボゴール、タンゲラン、ブカシ、カラワン)の洪水による死者は、日本での報道は11人となっているが、これは、ジャカルタだけの話で、周辺の方が死者は多いし、被災者、避難者も5万人以上に及んでいる。
死者の大部分は感電によるものだという。そこで、電力会社が感電防止のために一部、送電をストップしている。一番困るのは、携帯電話の充電、バッテリー切れが問題になっている。インドネシアは家庭電話はほとんど普及していない。原因ははっきりしないが、南ジャカルタブロックM近くの変電設備のトランスが丸焼けになり、その影響もある。ここのトランスが燃えたのはこの2年間で3回目だそうだ。

日本人の中で一番困るのは、ゴルフコンペの幹事さん。プレー費はプレーを始める前のキャンセルなら、払っても戻ってくるが、一発でも打ってしまえば、その時点で、途中、止めてしまった場合、1銭も返ってこない。ということで、スタートするか、止めるかの決断を迫られる。スタートしてしまって、順調に進行し、無事終われば問題ないが、土砂降りになり、プレーできなくなれば、中止の決断もしなければならない。全員がホールアウトしなければ成立しないのが普通でしょうが、前もって、成立の条件も話しておかなければならない。そして、成立条件を満たさなかった場合は、次回の幹事もしなければならない。
IMG_1631^.JPGIMG_1631-.JPG
何故でしょうか、今週中、チカランバラットのインターからで出る車の数が異常に少ない、ガラガラである。支払いゲートが7か所ある、そこから、2車線に絞られる場所。この先、一旦、4車線になる。また、旧ゲートが壊していなくて、2車線になる。そこを過ぎると、ジャバベカ側左折車線が1、リッポチカラン、イジップ側右折車線が2車線になる。そこまで、支払いゲートを出てから400mくらい、競り合い、割り込みの連続意である。ところが、今は、すいすい、まったく、拍子抜けである。
また、高速道路に車の数が少ない。いつもなら、渋滞が酷いので、MM2100からチカランへ帰るときに、国道かカリマランか高速道路か迷うが、今は、チビトゥンから逆方向に戻っても高速に乗った方が遥かに早い、出口の導入路でも100Km以上出せるほど空いている。洪水で、到着が遅れているという理由ではない、高速道路は今のところ洪水はないので、高速へ乗る車がなぜか少ないのです。何かある。
考えられる理由は、荷物検査の順法闘争です。残業はしない、検査を厳しくする、ゆっくりする。などで、税関の通過が遅くなり、港からコンテナの出てくる量が極端に少なくなっている。あるいは、トラックドライバーの順法闘争。どちらもあり得ることだ。目的はアンダーテーブルをふんだくりたいことや報酬のアップが狙いだ。
あるいは、極端に業績が悪くなった業種があるか、生産調整、在庫調整をしている大企業があって、その関連企業すべてが、それに準じているからでしょうか。本来、昨年中に出ている、今年の年間計画が、関連企業に提示していない、大企業があるかでしょう。
   

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(^_-)-☆Ibu Kota [災害]

 1464 JANTUNG IBU KOTA BANJIR(首都の心臓部が洪水)今週中ずっと、雨が降り続いている。時には、しとしと、時には雷と共に土砂ぶり。ジャワ島、ジャカルタのあちこちで冠水騒ぎになっているようだが、この目で確認はできない。ブカシバラットのインター、ジャイアント付近の冠水も高いところで1m以上に達している。カリマラン川周辺です。16日昼ごろの状況だ。従業員の遅刻も増えている。
ジョコ ウィドド、ジャカルタ新知事は、洪水を減らすと宣言していたが、逆に、今期は例年より雨量が多いようで、洪水地域は増えている。そのたった一か所に行って、視察をし、住民を激励しているが、どうにもこうにも、どうしようもない。
今日は、首都の心臓部、Jl.スディルマンとJl.タムリンの大噴水、ホテルインドネシア ホテルニッコー、60cm以上の冠水だった。スマンギの交差点、チャワンやJl,パンチョラン、その他、主なものが10数か所以上、タンゲラン方面も酷い。首都が一番ひどく、その周辺都市も交通マヒ状態。
IMG_1619^.JPGIMG_1619-.JPGIMG_1619.JPG 新規のトライをするための金型を作る打ち合わせをするために、私はチビトゥンとチカラン間の一部を走ったが、低い部分で50mから200mくらいの冠水道路を断続的に通過する。その中に、アスファルトに穴があいている個所が沢山あって、突然、がたんと揺れる。バイクは大変、その都度、こけている。

江戸時代の日本のように川越の人足の仕事が増えている。冠水した道路は低い地域なので、その手まえから、向こうまで、肩車をしたり、ボートを引っ張ったりして、人やバイクを運んでいる。子供は水浴びをしてはしゃいでいる。それでも、地方では雰囲気はそう深刻ではない。
しかし、首都の中心部が、冠水で機能が麻痺ではしゃれにならない。ジョクウィさん、さて、どうしますか?どうにもならないでしょう。2006年だったか、高速道路のチャワン付近が最大三メートル冠水して、一日中、機能しなかったことがあった、その年の状態と似ている。その時は従業員が出勤できなくて生産を止める事態にもなった。
有名な予言者が今年の洪水は例年以上に酷くなると予知していたというニュースもテレビや新聞で流していた。ばかばかしい、そんなことをニュースにするなんて、私だって、誰だって、当たり前に思うことをニュースにするなんて、報道関係者の良識を疑う。

こんな日に、安部さんが来るという。それでなくても大渋滞のジャカルタ、安部さんが来ることによって、大幅な交通規制が実行される。インドネシアの経済的損失はかなりの額になるはずだ。大迷惑を被る一般人は多いはずである。戦略的パートナーシップ?分けのわからないことを言っていないで、ゴミをなくすことを話し合ったらどうでしょうか。ゴミをなくせば、洪水も半減しますよ。
  
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(^_-)-☆噂では [災害]

 1461 日系企業、アメリカ企業の大企業がインドネシアから撤退して、他へ生産拠点を移すという動きがある。いずれも一万人以上の製造人員を要している。四千人は近日中に削減するらしい。勿論、突然ではないが、何年間かけて徐々に進める。そのプロローブが始まっているという噂がある。そりゃそうでしょう、そういう会社が出ることを、日系企業を始め外国系企業は、望んでいる。そうでなければ、最低賃金の上昇や労働条件の優遇条件の要求に歯止めが掛からないと思っているからだ。何十%の賃金上昇では、企業体力で限界に達している会社も多いからだ。だから、撤退した会社の関連会社も巻き込まれて、大変なことになるのだが、関連していない会社にとっては、そういう噂が出ることは、大歓迎でしょう。あくまでも、噂ですから、私が関知するものではありません。

 昨年のバイクの販売台数は700万台プラスでした。一昨年比では10%ほど減少している。頭金の%を3倍にすることを義務付けられたからでした。メーカーによってばらつきはあるが、昨年の後半はその影響をもろに受けて、急遽、生産調整に追い込まれた。下請け企業では、在庫調整のために生産を一時ストップした会社もあったようだ。契約社員を契約延長や新規採用をしないで、人員を減らした。今年からそれがかなり制約されるので、メーカーにしても下請けにしても、ミニマムの人数にして、販売台数が上向きになっても生産台数を増やすことはしないで、従業員数の減らしたままにするでしょう。いけいけ増産をする環境は無くなった。
 今年の販売台数は昨年並みに戻ることはないでしょう。昨年後半の生産ベースで一年通せば、さらに10%少なくなって、670万台付近になるでしょう。
 下請け企業は新工場に増設を急いでいたが、昨年末から、急ブレーキをかけている。現状設備で問題ないことがはっきりしたからである。カラワン、チカンペック、スルヤチプタ方面の工業団地のことです。他の業種では相変わらず進出ラッシュらしきものが収まっていないが、労働条件や人材不足での賃金高騰など、進出企業にとって、こんなはずではなかった思うことが続出するでしょう。気の毒に思うが、日本に仕事が無いのだから、その流れは止まらないでしょう、地獄とは言わないが、進むも困難、留まるも困難、これが、日系企業の大部分の切実な姿です。
 結論は今頃出てきても、なにも良いことはないよ、です。
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 こんなにガラガラな道はいつどこのこと?原因は?これだけ空いているのは、何か良からぬ理由があると思うのは当然だ、というくらい、珍しいことである。
1998年大暴動の年、11月、ジャカルタ北端のメガモール プルウィットでボーリングをしている最中、ふと気がつくと、今まで、賑やかだったのが、次第次第に人がいなくなり、カウンターの係員までいなくなってしまった。これは変だと思った時、落ち口のシャッターがガラガラと下ろされ、セキュリティが走ってきて、向こうの非常階段から外へ逃げろと叫んでいる。何があったのか、分からなかったが、ボーリングの靴のまま四回の外の非常階段を使って避難した。周りの人に聞いたら、モールの反対側で投石が始まったという。向こう側だから何も見えない。30分ほどして、収まったという。駐車場へそのまま行ったら、私の車一台だけ、ぽつんと駐車していた。他の車はすべて逃げて仕舞っていたのです。ボーリングに夢中になっていた私たちだけが、何も知らずに呑気だったのでした。無事だった車で駐車料金も払わず外に出て、ジャカルタ中央に向かって帰る途中、前方二か所から黒煙が上がっている。しばらくそちらへ向かっていたら、交通が遮断されていた。何事かと、その辺りにいた人に聞いたら、キリスト教会が襲撃されているから、この先へは行かないほうがいいという。Uターンし、高速に乗ってタンジュンプリオク経由でチカランへもどった。そういうことがあったので、妙に閑散となると、何か、あったのかなと思う。
   

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(^_-)-☆あれから14年4 [災害]

1219  その年98年の11月にもジャカルタのキリスト教会が数か所同時に焼き討ちされたという事件がった。UNAS(ユニフェスタス ナショナル、パサールミング)日本文学科の学生数人と連れだって、大暴動の二日後に行った時には安全だったメガモール プルウィットでボーリングを楽しんでいた。
ボーリングを夢中になってやっていて、周囲の雰囲気が分からなかった。ふと気がつくと、今まで。ボーリングをしていた人たちが、妙に少なくなっている。変だと思った瞬間、入口のシャッターがガラガラと落とされた。同時に逃げろ!!という声が聞こえた。何が起きたか分からないが、靴を好感している余裕はない、直ぐに、シャッターと反対側にある非常口から非常階段を下りて。建物の一番東側に駐車場へ逃げた。建物の北西側から、投石が始まって、暴徒がなだれ込んでいるという。私たちが逃げて立っていたところからは。その様子は、まったくわからなかった。車は建物の反対側、西の駐車場に置いてあったので、車のことが、心配だった。百台以上はあったので、私の車は壊される確率は少ないとも思っていた。一時間ほど過ぎて鎮圧されたということになったらしい。皆さん、北側の出口へ向かっていった。私たちは南側を通って西の駐車場へ行ったら、なんと、百台い所あった車が全部なくなっていて、私の車一台がぽつんと取り残されていた。ミステリーである。無傷である。私がいの人たちは、いち早く、車で、逃げてしまっていたのです。とにかく、何事まなくてよかったが、靴はボーリングシューズのままだった。

ジャカルタ中心を通って帰ろうとして、南進した、しばらく行くと、前方に黒煙が上がっているのが見えた。そのまま、黒煙方面に向かってゆくと。警官が何人か道を塞いでいた。この先は行けないからUターンしなさいと言っている。この先にキリスト教会が纏まって三つあることを知っていた。教会が襲われているなと直感した。北方面戻り高速へ乗ってグロゴール経由でパサールミング(クニンガン)で高速を降りUNASへ向かって、学生を送った。無事でよかったと思う。その日の夕方のニュースで大きく取り上げられていた。まったくとんでもない場所にいたもんだと思った。

今でも、集団パニックや放火やリンチが無くなってはいない。アンボンのイスラム集団がキリスト集団への攻撃、タンゲランの山の中ではイスラム異教徒への攻撃、ボゴールでもグレジャ(キリスト教会)への攻撃、この間は、理由が何だったのだろうか、タンクバン プラフの入口料金ゲートがぶち壊された。パプアでは犠牲者が多く出ている、独立戦線の仕業か?ちょっとしたことで、投石が始まるし、鎌を振りかざして飛びかかる。
一つ不思議で面白いことがある。そういう事件のときに、必ず、TVカメラマンがいて、撮影していることです。
今回、レディガガ、(アジズガガではない)の講演を警察と観光省が、セクシー過ぎるという理由で、キャンセルさせたのも、イスラム急進派の行動を抑えられないとの判断だったと思う。一般市民は、残念がっている。払い戻しが始まった。
  
新しいWeb Siteです。まだ、完成していませんが、公開を始めます。旧ウェブサイトに手を加えることが、できなくなってしまいました。だから、旧ウェブサイトに新サイトをリンクできません。新サイトからは旧サイトにアクセスできます。大部分のデータは旧サイトにそのまま残されています。新サイトには、今後、書き込みを増やしてゆきます。お気に入りに、新旧両サイトを入れておいていただければ最良だと思います。
http://otaenplaext.net/newpage0.html
 右側が新しく追加した部分です。左側は今までのものです。Videoは本家では消えてしまっていますが、こちらにはあります。
IMG_4095.JPGIMG_4096.JPGIMG_4098.JPGJalan Sudirman Jakartaを北上しながらのドライビング レンジとその反対側、スマンギ交差点の下に差し掛かったところ。
  
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(^_-)-☆あれから一年 [災害]

1152 このことに触れるのは自然でしょう。私はインドネシアにいてこの大惨事を知った。多くの人と違った見方をする私です。その時思ったことは、また、何の予知も出来なかった。何十年も前から東海地震について直ぐ起きてもおかしくないと警告していた人はいるが、その他の地では全く地震や津波の予知や警告をしていた地震学者は一人もいなかった。少なくとも阪神淡路大震災を目の当たりにして、自分たちの無力さ、何をやっているんだという反省が在って、その後の研究のしかたや歴史的解明など、やらなければならないことが沢山ある、今迄の研究のし方では何の役に立たないという事に気が付かなければならなかった。去年静岡に集まった地震学者が口々に自分たちの無力さを嘆いていた。何も役に立っていないことを認識したようでした。
 素人の私でも三陸沖海岸の地震は小学校のころから、いつ起きてもおかしくないという事をしていたし、どこらへん辺り(30m以上)まで津波が過去に達していたことも知っていた。なのに、5m(中には12m以上の場所もある)の防潮堤を作って、津波が来たら、この扉を閉めれば良いという説明をそのあたりへ行くたびに説明されていた。地震学者はそれでいいと言っていたのでしょうか。歴史的な事実を全く無視していたというしかない。
 誰だって、東北地方の地震について大きな声で警告しなければならなかったし、原発の立地としてそこを選ばなければならに理由が一体なんだったのでしょうか。最低でも、太平洋側に原発を作ることに大反対する地震学者がいても良かったと思うし、政治家も行政も電力会社の人達にも反対する人がいても良かったと思う。

 阪神淡路大震災のあと約15年の間に日本の各所で大地震が起きている甚大な被害が発生している。それらの全てを誰もが警告しなかった。其のたびに地震学者は自分たちが一体何をしているのか、反省する機会になっていたのに、全く、他人事のように、何故起きたかと解説をしているだけである。プレートの沈み込みに地盤が耐えられなくなって反発したのですと言っている。馬鹿じゃないの、地震が起きるたびに同じ解説を繰り返すだけです。それなら地震学者はいらないでしょう。

 東北大震災の後、今後は、今迄の予知を見なおして、ドンドン、大規模になると変更している。東海地震や東京直下型地震について、より深刻になることを警告しだした。ここでも、馬鹿じゃないのと、言いたい。その他の日本の各地方についてまったく触れていない。九州は、山陰は、東北の日本海側は、北海道は、警告しなくていいの? 内陸地方(関東北部、中部山岳部)はどうなの?予知や警告を出来るわけがない、それが現状です。だから、今予告している自信についても何の根拠もないのです。ただ、大きい自信がおきる確率が何%といってその確率を上げているだけです。地震学者にとっては当たっても当たらなくてもいのです。確率直ですから。
2004年のインドネシア、スマトラ東北端部のバンダアチェの2011年1月の様子です。死者、行方不明者は10数万人でしたがその面積は東日本大震災の10分の1もない。その地に約5年間に渡り先進国を始め多くの国々から援助隊が来て街を復興させた。地元民は政府の指示に従っただけでした。だから震災前以上の洗練された町になったのです。地震妻に対策については、高台に住宅を移したことと、避難ビルを作ってだけです。それに比べれば、住民の自立心は違うし、生活水準、製造業の水準が余りにも高度だし、農業や漁業の水準も大きく違う。外国の援助隊が来ても回復させるだけの力はない。全部、自力で元以上にするには10年以上掛るでしょう。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%203.html
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page229.html

 今日はテレビ画像を見て何度も涙を流した。
IMG_2989@.JPGIMG_2989.JPG娘も妻も留守で私と孫の三人で留守番。
  
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(^_-)-☆パニック障害前兆 [災害]

1149 前兆はというか初期症状は、後で考えると1年以上前からあった。脈が飛んだとは思わなかったが、頭がくらっとして立っても坐ってもいられなくて床に寝転がるしかなかった事が在った。気を失うのではないかと思ったが、それはなかった。何十秒間に3回、へたりこんだ。只事ではないと思い、近くの医者へ行ったが、症状はその時の何秒間だけで、医者へ行く途中、行ってからも、その後、一年以上その症状は現れなかった。もう一つは、体のあちこちが攣ったことです。特に、ゴルフなどそんな過激とは思わないスポーツの後、必ず攣るようになった。そのころ、海水浴場で沖まで泳いでゆくことを止めた。パンガンダランなどインド洋に高波を潜り込んで通過して沖へ泳いで行って、大きなうねりの上でぷかぷか浮いているのが私の海の楽しみ方でした。インドネシア人は誰も出来ない。それを止めた。万が一でもライフガードに迷惑を掛けたくなかった。
IMG_0309.JPGIMG_0313.JPGもう一つそのころ気になりだしたのが目の渇きでした。チクチク痛むようになって目薬を欠かせなくなった。
それから約一年後、頻繁に心臓の脈が飛ぶようになって病院へ駆け込むしかなくなった。シロアム、心臓病ではインドネシア一番のハラパンキタ、スハルトが晩年通っていたプルタミナ、近所のアニッサ、日本人医師がいるタケノコ、それからSOSやビンタローのインターナショナル、もう一か所日本人医師がいるメディカロカ、次々と症状が出るたびに相談に行った。全てインドネシアでは超一流の病院です。全ての病院であなたは全く異常が在りません。全ての数値は正常です。と言われ、追い返された。自立神経失調症やうつ病と診断されたこともない。ただただ、あなたに悪いところは有りませんと言われてしまっていた。症状を云う度に神経質になり過ぎているのでしょう、とも言われた。それなのに、飛行機に乗ることは危険だ、とんでもないとも言われていた。何でも無いのに飛行機禁止とはつじつまが合わないことを日本人医師はいう。自分の責任問題になることを心配した、護身的な言い方をするしかなかったのでしょう。時のパワハラ日本人も同じで帰国はまかりならぬになってしまっていた。インドネシア人の医師も日本人医師も誰一人としてパニックのパの字も云わなかった。ただただあなたは神経質すぎるということと、飛行機に乗ってはならない、という事だけでした。
 それではどうすればいいの?インドネシアから脱出するしかなかった。そして、誰にも話さず、決行した。
 日本へ帰ってからも、一か月、何か所もの病院を回ったがパニック障害を疑った医師はいなかった。一ヶ月後にやっと、あなたは典型的なパニック障害ですよ、今は良い薬が在ります。直ぐに治ります。といってくれた医者に会うことが出来た。その次の日から、嘘のようにパニック障害の症状は消えてしまった。

 その医者がいう原因は、頑張りすぎだそうです。自分がそう思っていなくても回りの人から見れば頑張りすぎている人、多分私はその口でしょう。さぼり薬を処方してもらって治ったのです。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0063.html
 
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(^_-)-☆一段落していない [災害]

1116 一昨日から、今後の身の振り方について、どこでどういう仕方の仕事をする科、出来るか、検討するための事情調査を始めた。何社かを訪問して、様々な感触を確かめるとともに、私の考えも伝えることにしている。優先は、私が思う製品の開発的な仕事ができる環境を作ることができるかどうかである。
 金曜日に訪問させていただいた会社では歓迎の返事をいただいた。大変ありがたいことだと思う。話しの最期に近づいたころ、社長をやってくれませんかと、本気で云われた。それを含めて、20日過ぎに、もう一度お話しさせていただくことにした。

提案
いつでも使っている物だが、ついどこへ置いたか忘れてしまう。どんどん、高齢化が進み、忘れ物、探し物が多くなる、若いころに比べれば、注意をしているし、気にしていることだが、どうしても見つからない事が多くなる。そこで、以下のような携帯ストラップ(これにこだわることはない)のように失くしやすり、必需品に取りつけて置き、其のうちの一つでも持っていれば、他のものを探し当てることが装置というか、システムというか、そういうものを提案します。もう、ありますか?無いでしょ。
車や家の中、あるいは半径20mくらいの近くに求める物が有れば、車のロックや解除のリモコンと同じようなもので特有の音を発するように出来れば良いと思う。そういうシステムを作れば爆発的に売れると思う。各種鍵、携帯電話できる、カメラ、財布などに特有の音が出る受信機を付けておけばいい。それが発信機にもなっていれば、発信機が全部見つからないことはない。それぞれに5番位まで番号をセットできるようにしておいて、発信はその番号を押せばいいようにする。どうでしょうか。
どなたか、こういう装置を作る環境にある方が作って売り出してください。それほど、高額にはならないと思います。
特許はこの文章に依って登録はできません。既に特許登録されていれば、悪しからず。しかし、こういう商品を見たことが無いということは特許も実用新案も申請されていないのではないでしょうか。

 タンブン(Tambun)のスズキ自動車の工場でベースアップや労働協約改定要求のストライキが在りました。高速道路(ジャカルターチカンペックCikampek線)の北側に平行してある国道沿い、タンブンという町とチビトゥン(Cibitung)という町の中間にある会社です。工業団地の中ではない。土曜日も継続するという噂が在りますが、今日は収まっているようです。この近くにヒノやパナソニック、その他日系企業が多くある、YKKはチビトゥンにある。ブリジストンは少し北の方にある。いずれも、昔は田舎の何もないところに工場を作ったが今では回りが住宅地になっている、そんな工場がこの辺りにはある。こんなところに、こんな会社があったのかと、思わされる。
 先日のMM2100やEJIP,JABABEKAなどの工業団地の会社の最低賃金上げ要求のデモは終ったが、今、ジャカルタの西、空港方面のタンゲラン(Tangeran)の工業団地の企業(二十年以上前に進出した日系大企業が多い)に対して似たようなデモが計画されていて、高速道路の封鎖もすると脅かしを掛けている。まだ、全てが終ったわけではないことを示している。
IMG_2726.JPGIMG_2725.JPG下が店で二回以上が部屋になっている建物、インドネシアの至る所にこのスタイルの建物が在る。