相互に刺激

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 PT,PARAMOUNT BEDのお手伝い(日本から輸入していた押出成形品のインドネシア国内調達)を初めて、10年ほどになる。当時、社長の坂本さんから何とかしてほしいと頼まれ、難しい製品だったが、何とかお手伝いができるようになった。
 今日、ジャカルタ新聞トップでも紹介されているインドネシア奮闘記とでもいうのでしょうか、私は、先日のお別れパーティーで受け取り、一気に読ませてもらった。その本は、いま、日本から来た若者に参考になるようにと渡してある。
 坂本氏の動きについては二三年前にわたしのウェブサイトで紹介してあります。同じ昭和18年生まれの同期生として、目標にしていたし、刺激を常に与えられていた。逆にわたしも坂本氏に大きな影響を与えたと思う。
 P.BEDの坂本さんがインドネシア中を走り回って会社を留守にすることが多かったし、アチェやニアスの災害の時などは長期でいなくなることが多かった。その時、留守を守った、細野さん、先日、坂本さんと同時に送別会を行った。そして、昨日、日本のP.BEDの国際調達関係部署に戻った。今後の検討を祈りたいと思います。彼には教えてあげることも多かったが、教えてもらうことも多かった。

ご両人とも、インドネシアで、また近いうちに会えるような気がする。

ベンケルサンジャヤという鉄工場で押出の金型や装置を作ってもらって、10年に以上に付き合いである・チビトゥンのMM2100工業団地と高速道路を挟んで反対側の一般国道沿いにある。今日は一回、昨日は3回でかけている。試作に時は修正が多く、自分たちで修正できないときには、金型を持って行って、手直しをしてもらう。トライを続けるために、持っていってすぐ直してもらい、何時間後かに受け取りに行って、その時に次に修正してもらう金型を持って行く、またそれを取りに行く、その繰り返しである。付き合いが長いし、友達のような付き合いだし、常に仕事を絶やすことなく頼んでいるので、修正は、持って行けば直ぐやってくれる。
工場は明日明後日土日ともにオーバータイムである。
その鉄工場へ行く道が幾通りかあるが、一番近いのが、直接、高速道路に掛る橋を渡って向こう側に行く道である。その橋の幅が中途半端で、バスやトラックは橋の上ですれ違うことができない。交互通行にせざるを得ない。渡るたびに思う。だれがどういう理由でこの幅に決めたのだろうか。この中途半端な幅の橋はここだけではない。高速道路に掛る橋のいくつかがこの幅になっている。

その、悪名高い橋と鉄工場の様子です。

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