(^_-)-☆パスポート申請 [体験]

 3652 朝8時半出発で、ジャカルタの日本領事館へ行ってきた。本当に久しぶりだ。以前、いつ、何のために行ったか覚えていない、確か、二回行ったことがあった。今回、三回目だ。パスポートの期限が1年ちょっとしか残っていないので、1年のビザを取るのに、18カ月の残りが無ければならないと知らされ、日本から出発まで5日しかなく、日本で新しいパスポートを取ることができなかったので、ジャカルタでということになった。
目だった渋滞はなく、スマンギで高速から下りて、スディルマン通りを北上、スマンギから北上の仕方が、以前と違っていたのを初めて知った。以前は陸橋の向こう側で左に入ってぐるっと回って、陸橋の下でスディルマンにはいったが、今日は、陸橋の手前で左に入り以前とは逆回りで、陸橋の右側に出てしまった。輪っかの道ができたからだ。
10時前に大使館に到着、パスポートを見せ、記帳してもらって、中に入った。その前に、持ち物のX線チェックがあった。各種申請のためのロビーに入ると、受付番号の発券機が目に入る。二台あって、VISAとその他の申請用だ。私はその他の方のカードを取った。ヴィザの方はインドネシア人用でしょう。ガラ空きで、受付場所にまだ誰もいなかったが、私がカードを取ったとほとんど同時に、カウンターの一か所から呼ばれた。品の良いゲレーの髪の毛の女性だった。

事情を話し、一年以上あるが、新しいパストートを作っていただきたく来たと、言いながら、日本で準備した申請書と住民票を提出した。それと、パスポートと写真も、これで、申請のために提出するものは全てだった。
ところが、写真がどうもはっきりしていないから、これでは受け取れませんと言われてしまった。実は、以前ヴィザの申請のために撮った写真を自分なりに指定のサイズの写真を編集して作ったものだった。矢張りだめか。で、
右隣のプラザインドネシアの地下一階のアドラマという店があるから、そこで写真を改めて撮ってきてくださいと言われてしまった。ついでに、在留届について、聞かれ、会社や住所が変わっているでしょうから、変更届も出してください、写真ができるのは30分ほど掛かるでしょうか、その間にかいてくださいと、変更届票を渡された。

 一旦、出て、隣に向かう、ショッピングモールというより、高層のオフィスビルだ。ここも、チェックが厳しい、通路も指定されてしまった。建物入ると、直ぐにリフトに向かい通路がある。その通路に入るには、改札口があり、IDカードをかざさないと入れないようになっていた。写真屋はどこだ、地下へはどこから行けるのか、まったく、分からない、セキュリティーに聞いた。笑いながら、キリだカナンだと教えてくれた。向かって見ると、いろいろな店があって、レストイラン、コーヒーショップなどなど、10時開店したばかりという店が沢山あり、こりゃ、聞けない人が初めてきたら、行きあたるのは難しそうな、迷路状態だった。写真屋はすぐに見つかった。撮影し、9万Rpも払って、30分後に受け取りに来てください、だった。

 近くでコーヒーを飲みながら、在留届を書いて、写真を受け取り、自分の顔がこんなになっているのかと、がっかりした。大使館に戻ったのが11時過ぎ、先ほどと同じようにカードを取ると、またすぐに呼ばれた。今度は問題なし、申請完了、4っ日以降ならいつでも,ということだったので、月曜日21日に受け取ることにした。1,9ジュタ、お釣りがないようにお願いしますと言われた。受け取り案内表にも、おつりが出ないようにご協力お願い申し上げます。と書いてある。?1,9ジュタ、おつりが発生すはずがないのにね。ま。いいか。
 近くに待機していてもらったタクシーを呼んで帰途についた。帰りもほぼ順調で、14時前に会社に戻った。自分で申請、簡単だった。
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日本大使館とそのちょっと右にMRTの地下駅の入り口がある。その向こうに、ホテル日航?プルマン ジャカルタがある。1998年大暴動の2日後3日後、このホテルの前から空港行きのバスがでた。多くの日本人がそれを求めて集まった。空港へついても、日本やシンガポールへの便になかなか乗れなくて、空港でまた二三日待機した人が多かった。私は、それを眺めながら、この前の道路(タムリン)を自分で運転して、プルイット(北ジャカルタ)まで、写真を撮りながら行った。
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スラマッ ダタンの像、ホテル インドネシア(HI)のロータリー。
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(^_-)-☆外国人気分 [体験]

 3621 富士山の裾野でゴルフの後、せっかくなので、富士五湖を回って帰ることにした。先ず、田貫湖で逆さ富士を見ようと、休暇村へ行ってみた。ところが、分かっていたことだが、逆さどころか、まともな富士山が雲の中。
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その後、本栖、精進からの富士も雲の中、もう、諦めて、主道路から逸れて、西湖の北側の道へ向かった。
 西湖がまだ見えない、西湖いやしの里根場(ねんば)と書いた看板があった。始めて、目にした看板だったので、どんな癒しがあるのだろうかと、寄ることにした。広い駐車場があり、何やら、建物が目に入った。駐車場に入ると、その建物ではなく、左のチョット小高い場所に、茅葺?の屋根の家が何軒か目に入った。湖畔に向かう道は、何度も通っているが、この部落に着いては全く知らなかった。聞くところによると、1966年昭和41年、台風で、部落がほぼ全滅したそうだ。2003年から復元展示事業が始まり、2006年から、一部の公開を始めたそうだ。

駐車場から見上げた印象は、インドネシアのカンプンナガkampung Nagaだと思った。ということと、明らかに。外国人を乗せてきただろう大型バスが数台見えた。そして、その方に向かうと、大型バスが新たに到着、下りてきた人たちから、インドネシア語が聞こえてきた。
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入場料を払って、番号順の家を見て回り始め、ちょっと、後ろを振り向くと、富士山、雲がなくなっていて、すっきり、完全な姿があった。そこのパンフレットに乗っているような風景になった。で、外国人も大歓声、着物を貸しだしたり、お茶のセレモニー→染物、水彩画などの体験も楽しんでいるようだった。シンガポール、インドネシア、タイランドからの人達と会話が弾んだ。外国人、それも、東南アジア、中国からが訪問者の90%だそうで、日本人は殆ど来ないという。ガイドブックで紹介されていて、忍野八海と共に、ツアーコースになっているという、そのガイドブックを持っている人も多かった。こんな、田舎、私も全く知らなかった。偶々、寄ってみて、日本人も一度、覗いてみたらいいと思った。日本昔話のテレビアニメの作家ご本人も接客を熱心にしていたし、その他、いろいろな、芸術品?作家の方々ご本人が、対応してくれていたのが印象的だった。そういうことは、外国人には分からない。
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西湖の北側の道からの富士山と珍しい形の雲、忍野八海からの逆光の富士山、そして、山中湖に向かう大通り、富士急ハイランドの横あたりからの富士山、見事にはれ上がっていた。
篭坂峠を抜けて静岡県に入り、御殿場、裾野、沼津を通って戻った。16時ころ由比の海岸辺りを通過、ぐるりと、ゴルフ、富士五湖一周の旅というか、富士山ぐるりツアーでした。日本を満喫した一日でした。
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(^_-)-☆皆さんと別れ [体験]

 3552 無事、皆さんをスカルノハッタ空港で見送った。慌ただしい数日だったが、過ぎてしまえば、あっというまだった。肩の荷が軽くなった。

昨日と同じように、朝、8時にアストンからスタート、先ず、キンタマニへ向かった。昼食後、そこから、時間を見ながら南にむかって、途中、プラ、ヒンドゥー寺院に寄るという、スケジュールだった。しかし、早く着きすぎてしまうので、途中、ゴア ガジャにより、それでも、早いので、ティルタエンプルにもよった。鯉の池や水浴びの場所があるところだ。

11:30にそこから、キンタマニに向かい、12;00にレストランに入った。バツールの北側から、赤い炎が上がっていた。野焼きかと聞いたら、自然発火だという。いわゆる山火事だ。火の粉が偶に舞って来るという。
かなり激しく燃えているが、消火作業をしないで放っておくらしい。手前に焼け跡が広がっている。

食事後、キンタマニでも、もっと上のダナウ バトゥール寺院に寄ってみる。以前、行ったことがあって、印象が良かった場所だった。熱心に説明をする人が付いてきて、マークの意味とか、カルデラ湖の縁にあった寺院は、噴火で埋まってしまったので、この場所に、1935年に再建したとか、ヒンドゥー年は、一年420日だと、一か月は35日だとか説明してくれた。

皆さんがホテルに帰る途中、ライステラスに寄った。この世界遺産の棚田、何故なったのか理解できない。インドネシアには他に、持った大規模な棚田は一杯ある、それも、バリの棚田に比べれば,100倍以上の規模だ。私にしてみれば、かなり上位のがっかり世界遺産だ。それでも、観光客で賑わっている、登録されて二三年後には、もとの、がら空きに戻るどこかと違って、不思議に賑わいが増している。

私は、空港で降ろしてもらい、皆さんがホテルに戻り、バッグを持って空港に来るのを待った。18;30頃、チェックイン、時間があるからと、ゆっくり食事をしていたが、皆さんと私の便が違っていて、私は皆さんより一時間早い出発になってしまっていたことに気が付いて、あわてて、私だけ、ゲートの場所を探しに行ってしまった。慌ただしい、分かれになってしまった。
私は、24時を回って、工場に到着した。
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5,000 hilang di dua kawasan Paluプラの二か所の地帯で5000人が見付かっていない。
Semasa Balaroa, Petobo alami insiden tanah jerlus
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(^_-)-☆無停電電源装置(UPS) [体験]

3536 昨日も18時から20時まで停電だった。非常に難しい、PPのプロファイル、パネルカバーという製品をやっていた。朝からずっと、OKにならず、昼過ぎにやっと、製品をとれるようになっていた。これで、明日の夕方まで安定していることを願っていた。18時前に家に着いたとたんに、マティ ランム、がっくりである。二時間後に電気は来たが、その後は、オペレーターに任すしかない。今日午後、工場へ行ってみた。その製品、再スタートしたが結局、良品にすることができず、ストップしたままになっていた。納期遅れが確実になっってしまった。月曜からやり直しだ。

とにかく、引っ越しを頼み続けるが、何故、この場に固執するのか意味が分からないし、説明もしない。仕方がないからUPSの設備を頼んだ。そして、許可をもらった。良きら掛かるか直ぐに調べる。
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この木何の木、気になります。ご存知、カユプティーという木です。インドネシアには、至る所で見ることができます。並木になっているところも沢山あります。白い材木、という意味の名前です。
“ミニヤック カユプティー“という、嗅ぐと,スッとする薬?気付け薬?として有名な液体はこの木から作られる?この薬の名前は、この木の名前から来ています。長細い葉っぱをむしり取って、両手で揉むと、その、スッとした匂いを確認できます。なるほどと思います。コンビニでもフレッシュケアーなどという名前で売られています。液体ではありませんが、日本に昔からあるメンドレタームの匂いです。
それれはそれろして、気になるというのは、この木の幹?の事です。何輪?じゃないと思う、非常に薄っぺらな木皮をい上にも巻き付けた状態になっている。摘まめば簡単に剥ける、剥いても剥いても皮膜のような皮になっている。白樺の木も確か、皮がむける木だと思うが、これほど、薄っぺらで、中まで向けるという印象はない。だから、この木の横にいると、剥きたくなる。剥くと何となく気持ちがいい。
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この木、なにが、いますか。Bunglonブンロンと皆さんは言っているトカゲです。トケッやチチャックと共に、私が住むエリアには、ゴロゴロいる。じっとしていれば保護色になるが、人が近づくと、逃げ出すので、保護色の意味がないと思うが、なにを思っているのでしょうか。このトカゲも、写真を撮り始めると、動き出し、上に逃げた。細い木高さは2mもない、飛び降りて逃げればいいのに、その勇気もない、一番上で、どうしようか、考えてい居るようだった。
   
https://4travel.jp/travelogue/10196819 カワープティー
https://www.youtube.com/watch?v=Xf27C07EU7c

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(^_-)-☆準備の一環 [体験]

 3478 インドネシアへ戻る準備が始まった。
先月終わりに、初めて眼科に掛かった。世の中、縦に二重に見えるからだ。いろいろ検査した結果、軽い乱視と軽い白内障がある、と言われながら、進行を遅くする薬を処方された。二週間で、その薬はなくなっていた。そして、今日、二重が直っていないので、同じ眼科へ行ってみた。薬を出してもらえるなら、三か月分くらいをもらおうとした。

診察の前に、眼鏡を掛けて、修正できるかどうかの、チェックをした。何やら、いろいろなレンズの組み合わせでテストをした。多分、乱視が原因なら、眼鏡で矯正しようとして,いろいろ試したようだ。しかし、検査をする人、首をかしげてしまっている。いずれも,改善どころか、裸眼の方がましだった。そして、諦めたようだった。
その後、診察があった。上側に薄く二重が現れるが、完全な上下ではなく、10度ほど右上だ。ここでも、眼鏡で矯正できるかどうかちょっとトライしてみたが、矢張りだめだった。“弱い白内障が原因でしょうね、完全に治したいなら、手術しかないですね“ということになった。”そうですか、知り合いに大勢、白内障の手術をしたという人がいて、簡単だったよ、といっていましたが”と、そこまで言ったら、 “簡単な手術なんか有りません、1mm以下の難しい手術です、失敗は許されません”“短時間で済むという点で簡単というなら、言えるかもしれません”と、女医さん、真剣に真顔で怒ったように言われてしまった。
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“認識不足ですみません”と、誤ってしまった。片目ずつで10日ほどかかるということだったので、視力は裸眼で両目とも1.2だから、手術は、次に日本いるときにするということにし、前回、処方してもらった薬を3か月分、処方してもらった。診察と薬で750円くらいだった。

その後、食道に何か邪魔なものがあると感じていて、飲み込むとき、若干の抵抗を、そして、胆液を吐くときにも、逆抵抗を感じていたので、徒歩5分くらいにある胃腸科へ行ってみた。手術で胃が無いことを説明し、いつ頃、どこの病院で切ったのか、を聞かれ、そのことも答えた。すると、診察も何もなしで、“その医者なら今でもやっているから、そちらへ行ってください。なぜ、そこへ行かないのですか“と聞かれた。”向うは一寸遠い、こちらは、すぐ近くだから“と答えたら、”あなたの事を知っている医者の方が良いですよ、あちらへ行ってください”ここでも、何やら、怒られたようだ。そんな話だけで、診察代、240円、勿論、薬はなし。
食道の違和感は継続中、出発前に、また、大島さんの所に挨拶に行ってこようと思うが、距離より、混んでいて2時間以上待たされるから、本当は行きたくない。今日の医者、待ち時間がないほど空いていてガラガラ、今日も他にいなかったから、入ったらすぐに呼ばれた。近いからという理由は言ったが、流石に、空いていてすぐ見てもらえるからとは言えなかった。

日本より、インドネシアの方が長時間現象を見られる月蝕についてのインドネシアの紹介。
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Deretan Fakta Unik Gerhana Bulan 28 Juli 2018 ユニークな事実 2018 年 7 月 28 日の月食
Gerhana bulan yang gelap diiringi dengan cerahnya Planet Mars juga akan bertambah menakjubkan jika ditambah beberapa bintang jatuh. 火星も伴った暗い月食は、いくつか流れ星が増えれば、驚きも増えるでしょう。月の動きとそばを並行して動くように見える火星がある状態は、非常に珍しい、それも、月蝕を伴っているからなおユニークだといっている。インドネシアにいる方、夜明け前、早起きして、月蝕を間接してみてください。日本は台風が上陸する時間だし、皆既月蝕は朝4時ごろ、それも、月が地平線に消える寸前、何分かだけなので、皆既を見ることは非常に難しい。もし晴れていれば、火星を直ぐ左横に伴いながら、01時ころから欠け始める満月を見ることができると思う。


安倍川の花火大会28日、29日は延期と決定した。26日のうちに決まった、8月25日になる可能性が高いとも言っていた。しかし、私の台風到着予定は、予報官のそれとは違う。私の予想では、速度が上がると言っているが,上がらないと思う。そして、28日の朝にはまだ、相当南にあって、進路は西に向かう、28日夕方ごろ静岡辺りに上陸などはしないで、太平洋上を本州かかすめるようにして四国の南を29日には通過すると思う。結論を出していない隅田川花火大会は、28日実施できると思う、もし、止めてしまっても29日には100%できる。安倍川の花火大会もできたはずだった、になるでしょう。小笠原付近から速度が増すという予報が、間違いになる可能性が高いと思う。
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(^_-)-☆鉱物資源 [体験]

 3472 インドネシアは、日本とそれとは違う自然が美しい場所が沢山ある、家族連れで楽しめる場所も沢山なる。そして、日本にない鉱物資源の発掘場所や日本にない植物資源のプランテーションも沢山なる、社会科の教科書に書いてあることを実感することができる。
インドネシアは、地下資源が豊富な島々が多い。パレンバンのアジア大会へ参加する日本人は、シンガポール経由のフライトで行く人も多いと思う。途中の島を見下ろすと、島が茶色に削られた場所を多き見るでしょう。
Direktur Utama PT Bank Negara Indonesia (Persero) Tbk. Achmad Baiquni memastikan perseroan tidak akan ikut serta dalam menyediakan modal bagi PT Indonesia Asahan Alumunium (Inalum) untuk mengakuisisi 51 persen saham PT Freeport Indonesia. BNIの社長,アクマド バイクニ 保証会社はPT フリーポート インドネシアの 51%株式取得の PT インドネシア アサハン アルミニウム (Inalum) の資本を提供することに参加しない。http://ptfi.co.id/id
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グラスベルグ鉱山とは、世界最大の金鉱山で世界三位の銅鉱山であるインドネシアパプア州にある鉱山。事件や問題が多い鉱山だ。

世界的なスズの産地-バンカ・ブリトゥン州
https://www.youtube.com/watch?v=u6KxzGMF4co&feature=youtu.be 主にバンカ島の映像
・ バンカ・ブリトゥン州は、バンカ島、ブリトゥン島を中心に470の島からなる地域。
・ 1850年頃よりスズ採掘を開始し、世界的に主要なスズ産地となっている。
・ 現在では世界のスズの1/3がインドネシア産であり、そのうち90%はバンカ・ブリトゥン産である。
・ バンカ島、ブリトゥン島合わせて160万haある陸地のうち3/4以上に採掘許可が下りている。企業による規模な採掘現場の他、その周辺で個人による小規模な採掘も多数行われている。
・ 2006年頃より、海洋での採掘も増加。
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シンガポールのすぐ南、バタム島の東の島、ビンタン島のボーキサイト採掘、島の首都パンカルピナンは鉱山の労働者でできた町空から見ると赤茶けている場所が目だつ。島の南部です。真ん中の上の方に滑走路がみえる、左は、パンカルピナンの町だ。
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(^_-)-☆マサカン 2 [体験]

 3452 pedas manis asin asam pahid プダス マニス アシン アッサム パヒッドゥって、何のことですか。味の表現ですね。からい あまい しょっぱい 酸っぱい 苦い、インドネシア料理はプダスが基本、私は苦手、レストランでもどこでも、注文するときに、タンパ チャベtanpa cabeか、ジャンガン プダスjangang pedas辛いのはダメだという。といっても、辛い物が出てくるときの方が多い、そして、インドネシア人に、食べてもらい、辛いだろ、といってやっても、辛くないといわれる。結局、バマンして食べる。
マニスは、甘いだが、料理に甘い物はない。甘い物はお菓子やデザートだ。これは、味を注文できない、大概、甘すぎる。甘さ控えめなどという、日本のような、御菓子類はないといっていい。甘い物も苦手なので、少ししか食べない。飲み物、果物も甘い物は苦手、特に、インドネシアのお茶飲み物は、全て、甘すぎる。日本茶と書いてるものも甘すぎる。
アシンは塩辛い、しょっぱい、だが、無いといっていい。焼き魚を頼んでも、日本食レストラン以外に塩味はない。
アッサムは、酸っぱい、酢の味ですが、最初から頼むのは、エビの料理法で、アッサム マニスasam manisと注文する。そして、それは、一般的だ。味付けに酢を使う、そして、パイナップルの小さく切ったものを煮込んである。なるほど、アッサムマニスの味だと思い、美味しい。ミー類を出す店やカキリマには、好みで,混ぜるように、ケチャップアシン(醤油味)と酢の瓶が準備されている。勿論、ケチャップ マニスとケチャップ プダスは、インドネシア料理では、必ず、テーブルに出されている。私は、間違えないように注意する。
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Udang-Saus-Asam-Manis-Pedasウダン ソウス アサム マニス ペダスの例
パヒッは、苦い、流石に、この味の料理はない。インドネシア人は、この苦い味を、何で、感じるのだろうと思うほどだ。薬で感じるしかないと思う。草木を口にしたときに、感じているのだろうか。歌詞に失恋の味として,rasa pahidラサ パヒッ(苦い味)が出てくる。ちなみに、渋いという単語はない、果物で私が渋いと感じるものがある、これも、パヒッと、インドネシア人は言う。

Rasaラサ、味という意味、果物は、日本人が知らない味のものが、沢山ある。基本は、manisマニスだ。しかし、その甘さが、多彩だ。いろいろな、甘さがある。そして、お菓子の甘さ、砂糖の甘さは苦手だが、果物の甘さは、好きだ。
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ワカトビ WAKATOBIは、この写真の右下、四島の頭文字、
http://otaenplaext.net/newpage130.html  http://otaenplaext.net/newpage131.html
クンダリKENDARIは、スラウェシ島の右足の真ん中辺り、ワカトビへは、ここ経由になる
http://otaenplaext.net/newpage17.html  http://otaenplaext.net/newpage18.html
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Gunung Agung Meletus, Semua Saya Ajak Mengungsi Karena Kami Ketakutan アグン山が噴火し、すべてを恐れてと避難 Gunung Agung Meletus, 3 Bandara di Bali dan Jawa Timur Ditutup Erupts、バリ島・東ジャワ州の 3 空港を閉鎖します。 Lalu lintas penerbangan dari dan ke Bali sudah kembali dipulihkan Jumat (29/6) siang, setelah sebelumnya ditutup akibat debu letusan Gunung Agung. アグン山の粉塵爆発によってクローズになっていた、バリ島離着陸フライトは金曜日を回復している。
Jumat, 29 Juni 2018 12:14
順を追って、こんなニュースになっていた。現在は、ロンボク、バリ、バニュワンギの空港は正常使用されている。
https://www.youtube.com/watch?v=W_plhoTNeso youtube アグン山の噴火に関する映像
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(^_-)-☆パニック [体験]

 3442 何回も書いているが、面白いというか、私にとっては、大変興味深い記事を見つけたので、また、このことについて書く。
https://next.rikunabi.com/journal/20160427/
私の症状でした。
1 息苦しい(呼吸困難) 喉や気管が詰まっている感じ 過呼吸
2 目眩がする 体のどこかがぴくッとなった瞬間、脈が飛んで、くらっとする
3 頭痛がする 血が引くのか、登るのか、両側がずきずきする
4 頭が重い 血が上るからでしょうか 
5 動悸が気になる 脈拍は40くらいになったり130以上になったりする
6 胸が痛む 心臓付近か、肺のどこか、ずきずきする
7 目の乾き 目が痛くなる
8 唾液が減少(口の渇き) 
9 寒気 
10 手足がしびれる 
11 体のあちこちでちくちく感じる 
12 気絶はしないがしそうになる 
13 死の恐怖を感じる 
14 他人と話しをしている時は症状が現れにくい 
15 一人でいるのが怖い 
16 それらがおさまっても、それらに対する恐怖心がある。
17 あらゆるチェック、数値に異常なし
生活状況、
1 普段疲れを余り感じない
2 頭脳を常に使っている
3 スポーツは盛んにやる
4 職場でストレスを感じるが逃げない。
眩暈、目の渇き 口の中の渇き などは、今でもあるが、年のせいだと思っている。死の恐怖は、全く感じない。

https://www.youtube.com/watch?v=Glxby4npmmc どうです、この風景、昔の湘南でも、これほどではなかったし、バリのどの海岸より、はるかに賑やか。人はどこから湧き出てくるのでしょうか。
18日のパンガンダランの状況。私が行った最終は5月12日でした。場面の全ての場所はどこかわかります。この賑わいでも、ジャングルの中は、ほとんど、誰も入らない。
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匂いを感じたら、感じた方向に進む、目に入ったら、やったあ~~と、思う。それだけだ。だが、沢山のユーチューブが投稿されているが、ジャングルの中に入り、滝までのものは、全くないし、ましてや、ラフレシアに関するものはないし、海岸沿いばかりで、山側のスポットについても全くない。
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(^_-)-☆ゆったり [体験]

 3332 予定では、きょう午前中にコタキナバルから戻って、午後、大使館へ行って、パスポートを受け取るはずだった。予定が崩れて、今日は、ホテルを移るだけになってしまった。徒歩10分くらいの距離、12時前にチェックアウトをし、歩いて、予約済のホテルに移動した。12時15分頃チェックインしようとしたら、2時からだといわれてしまった。さてどうしよう、暑い、カンカン照りだ。すぐ隣にあるマレーシアレストランに入った。インドネシアと何も変わらない。ナシクニンをメーンに、イカン、アヤム、そしてトロールを載せた。ホットコーヒー付きで15RM.約、400円、ま、こんんものでしょうね。
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夕方は、ソッ ダギンだけだった。こちらの牛肉は、小さく切ってあるが、それが、硬い、それ以上小さくできないまま飲み込んだ。のどに閊えないように用心深く。半分ほどでお腹がいっぱい、こちらは7RMだった。

それから、どこへ行くったって、行く当てがない。インドネシア大使館前のゴルフ場の価格を調べたら、平日でも380RM,一万円もする。この暑い中、クラブやシューズを借りてまでやる気になれない。2時まで時間をつぶす、さて、“Lot10“イセタンのビルだが、地元の人にはロッテンといった方が分かる。ごちゃごちゃしていないし、涼しいし、トイレもある。なんといっても臭くない。こんな、恵まれた場所かほかになさそうだ。一見、町は、インド、バングラ、パキスタン系の男たちがたむろしているし、彼らが経営している店も多いし、工事に携わっている人も多い、ここには、それらの人が入ってこないようだ。差別意識は毛頭ないが、そういう人たちばかりの中を歩くのは、何となく、意識をしてしまう。
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私だけだけではない。カフェでくつろいだり、雑談、商談?をしている人が目につくが、ベンチでぼ~~っとしたり、電話をしたりしている人も多い。混雑はない。十分涼んだ。

マイホテルという名前のホテル、到着した日に泊まったホテルだ。

KLの時間は変。ジャカルタより、一時間早い。経度的には一時間遅い、だから、日の出が8時過ぎ、サンセットが20時過ぎ、どうも、日本やジャカルタの時間と明るさ、暗さに慣れているので、変。
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また、小学校に上がる前の事を思いだしてしまった。家の裏に畑がった、ある程度の自給自足のためだった。冬にはサツマイモの収穫が楽しみだった。そして、畑の脇にサトウキビを植えてあった。その気になったときには、折って、被りついて、噛み砕いて、甘い汁を吸った。そんなことを思い出しながら、本当に久しぶりにサトウキビの絞り汁を飲んだ。甘ったるい。こんな味だっかな、と、思いながら。

”旅に病んで夢は枯野を駆け回る”から、今日、初めて、旅先という感じだった。
ブラリ 涼み

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(^_-)-☆special道楽 [体験]

 3198 囲碁は道楽であり、打ったことで自己満足する。その為の往復で、徘徊をしてみた。三キロほど離れた場所にある生涯(障害ではない)学習センターで、木曜日、夜6時から囲碁同好会の集まりがあるので、薄暗くなり始めた5時半ごろ家から出て、車でなく、歩きで、徘徊しながら、行くことにした。土曜日は昼間なので、歩いてゆく場合もヲーキングとなるが、薄暗い丸子川の土手を主に歩くので、多分,他人が見れば、徘徊に見えるだろうと思う。
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早く着きそうだったので、ちょっと、余分に徘徊してみた。25年ほど前に、碁会所へたまに行っていたが、その後、如何なっているのかなと思い、そのあたりに行ってみた。住宅地の暗い小道を歩いていると、どの家も、センサーが作動して、照明が灯る、そんな場所の一角に、まだ、見覚えのある、その、プレハブの建物はあった。人がいる気配はないし、現在、使われているような気配もなかった。こんな写真を撮っている爺さんは、怪しい。
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帰り道、また、ちょっと、遠回りして、車が頻繁に通る道を歩いた。ここはちょっと広いが、この道の大部分は、人が道路わきを歩くようにはできていない。道脇まで30CMくらいに白線が引いてあるが、体は、当然、白線の外に出ている。車が後ろからくるたびに、体をぐっと、道脇に寄せる。徘徊老人としては、かなり緊張する道だ。最近、路肩に突っ込む車のニュースが気になっているし。

帰りの8時半過ぎ、歩いた大部分の道で車にも人にも会わない。私を目撃する人は、いない。徘徊していても誰も知らない。たとえ、座り込んでしまっていても、誰も、気が付かない。

そういえば、大学の同級会で二人、徘徊が趣味です、楽しんでいますという自己紹介があった。俳諧でした。

昨日からの続き、私が選んだ仕事は、その遣り甲斐がある、結構、多くの人のためになると思える道楽をしていて、結婚もし、子供もでき、家も手に入れた。多分、他人から見れば、相当、恵まれていると思われていたと思う。七年後には、夫婦合わせて、残業代を含む月給が30万円くらいあった。1972年ごろでした。
ところが、その前から、私が気に入らない環境を感じていた。自己満足できない状態があった。
タグ:俳諧 趣味 体験
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