(^_-)-☆大晦日の思い [日常]

 1447「一富士二鷹三なすび」初夢で見ると縁起がいいとか、新年のおめでたいことを、そう言っているらしいが、私が子供のころは駿府の名物で徳川家康が愛したというか、好きだったものを表していると教えられていた。それで、納得していた。富士山は当たり前、家康は鷹狩りを趣味にしていた。駿府城は内堀、中堀、外堀、三重の堀に囲われていて、外堀と中堀の間で南側に鷹匠が住んでいた一画がある。今、鷹匠(タカジョウ)という地名になっている、子供のころは鷹匠町(タカジョウマチ)と言っていた。ナスは家康の好物だったという、冬にナスを所望したところ、大変高価(高かった)だったので、高い山、富士山と愛鷹山(あしたかやま)の富士と鷹を並べたという話も聞いたことがある。
IMG_1515-.JPG久しぶりに用宗の海浜公園へ行った折、その鷹と隼に出会った。強風のなか、何を目的にしていたのだろう、風に向かっていたが、ほとんど静止状態だった。
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この駿河湾のずっと南6000Kmほどにインドネシアがある。
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沼津工場が狭くなったので、35歳から二三年、用宗漁港の東側のこの貸工場にいた。男は私一人で女性のパートを三人使っていた。結構、儲かっていたので、当時の静銀用宗支店長が、いい土地があるし、今なら5千万円ほど、その土地を担保に貸してやるがどうか、と言ってきた。その時、手形を割ることなく、静銀に預けておいて、期限が来たら、自動的に当座預金に入ることになっていた、当座預金は小切手帳をもらうために作ってあった。高校の先輩でもあった支店長が是非というので、今の場所、自前の土地に自前の工場を建てた。

今年も、多くの方々にお世話になりました。私の年になると、若いころお付き合いさせていた会社の社長さんはほとんど一線を引いておられる。その何人かにご挨拶できたことは、一つの区切りになったともう。インドネシアの皆さんは2時間遅れの正月を迎えるのでしょうが、午前中、芝刈り収めをしたと思う。現地時間夕方5時ごろから、始まる紅白を、それぞれ、行きつけの日本食レストランで、皆さんと、雑煮を食べながら、見ていると思う。様子が目に浮かびます。そして、元旦も芝刈り始めでしょう。
 

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