(^_-)-☆夢の途中22 2 [思い出]

 1880 三日続いた深刻な悩みが、幸いにも、先ほど夕方解消した。何とかなった。ホッ、である。

戻るなり、看護婦が食ってかかってきた。私が行方不明になってしまったので、捜しまくったり、会社に電話したり、大騒ぎになっていたらしい。とにかく、平謝りに謝るしかなかった、あなたみたいな人は始めてだ、全く、という具合だった。

月曜日の朝、医者が巡回してきた。昨日の事を報告されていなのか、期限が悪そうに「君、何故ここにいるの?」と、聞かれて、「とにかく泊まって行けと言われたから」いったら、「君、何でもないようだから、出て行きなさい」と言われて、間髪をいれずに退院をした。下着や洗面道具を入れた大きめの紙袋を小脇に抱え、会社まで500mくらい歩いて帰った。まだ、10時前だった。事務所の扉を開け、20人ほどの人たちがいる前で、「お騒がせしました」と頭を下げ、直ぐに、寮へ行き、寮母にもお礼を言い、そのまま、作業服に着替えて、仕事場の検査室に行って仕事を始めた。

その直後、事務部長から、通達が出された。原則として、残業は4時間以内しか認めないと。要するに一日の拘束時間12時間以上は、だめだということになった。私も無茶をしたと思うが、あまり反省はしていなかった。

検査室の次に押出成形部門にはいった。昼間の勤務だったが、忙しくて、毎週土曜日日曜日の夜勤12時間勤務をした。土曜日、昼間の勤務が終わって、寮に帰り、20時に出勤、日曜の朝8時に終了、日曜に20時出勤、月曜日の朝8時終了、月曜日の昼間は年次有給休暇を取って休み、火曜日から土曜日までは通常の日勤、二ヶ月間続けた。平日、日勤の残業を含めれば一週間に30時間以上のオーバータイムをした。一週一回年休を使って月曜は、休むわけだから、一遍に年休が無くなってしまった。それを知った会社の事務部長が、「年休より代休を優先する」という、新たな通達を出してきた。要するに休日出勤をしてその代わりに休む時には代休といって、給料が引かれる休みの方を使いなさい、ということにしたのです。私が予想外の無茶をするので、事務長も大変だったと思う。何かあったら、自分の責任になるかもしれないと思ったのでしょう。

とにかく、当時は、夜勤で連続運転をしない時でも、日曜日には出勤していた。連続運転の時は勿論誰かに昼間出てもらわなければならない、私一人ではなかった、というより、他の人に休日出勤をお願いしていたので、私が率先してでなければならないと思っていたからでした。本当は、私の上司が、やることだと思っていたが。

当時は、まだ、土曜日は休日になっていなかった。私のオーバータイム、もし、土曜日が休日になっていたなら、一月12×4で48時間+されていたことになる。
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MM2100へ日本へのエアーティケットを買いに行ってきた。行きも帰りも、交通状態は、閑散過ぎ。一時間半で用事を済ませて会社へ戻った。チカランバラットの出口も、閑散過ぎ、あたかも、天変地異の予感で動物が姿を消す現象のよう。
  

タグ:率先 使命 義務
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