(^_-)-☆歩きまわる [旅]

 2445 特にいってみたいところもないので、パンガンダランの首根っこの部分を歩いて回ることにした。いつも、車でスッと通り過ぎてしまうので、ゆっくり、様子を見ることはなかった。網の目のように張り巡らされた道の全てに、ホテルやロスメン、プンギナパンがあり、コソン(空き室)の札が出ている。車ではすれ違えないどことか、入ることができない、狭い道の奥にも、泊る場所がある。
 土産物屋も同じだ。体を横向きにしなければ通れない道にもある。それでも、まだまだ、増えるようで、建設中、増築中の施設が目に入らない場所はない。
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 東海岸の地曳網は、毎朝、海岸道路を塞ぐようにして引いている。10年くらい前まであった海岸が消失してしまって、こんな状態になってしまっている。
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 西海岸は昼間でもととろどころで地曳網を引いている。500mのロープだそうだ。2時間半掛かるという。収穫と言えば、気の毒に思うほど微々たるもの、大きな魚はいなくなったという。
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ライフガードの事務所へ久しぶりに行ってみた。2006年だったと思うが、津波が押し寄せ、500人ほどの犠牲者を出した。その時の様子の写真が多く張られていた。私たちは、こんな活動をしているという表示だ。イピン君、彼とは、10年以上前にチャガールアラムへ一緒に入ってラフレシアを捜しまわったことがあった。彼が、説明をしてくれた。私が、ライフガードのユニフォームのスポンサーの一人だった事も、彼は、覚えていた。

  昨日の夕方とは打って変わって、人が湧き出していた。本日、夕方6時前の西海岸の人出です。凄いでしょ。泳ぐ人は一人もいない。少数に人が、発砲スチロールの板で、戯れているだけ、他の大多数は、写真を取っている。只、立っている。単に眺めている。砂遊びをしている。男も女も日本で言う水着を着ている人は一人もいないし、ジルバブをしたままの女性が多い。
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こういう雰囲気の中で、海岸端でじゃれているインドネシア人を尻目に、私だけが、沖へ向かって、泳ぐことが多かった。100mくらいまでは水が引いた時には足が付くほどの遠浅だが、沖で泳ぐことは禁止なっている。私は、ライフガードに断って、2~300m沖で、プカプカ浮きながら、海岸に沿って泳いでいた。パシール プティーへ向かうボートが時々、私の傍を通る。それを、監視していて、もし、助けを求めたら直ぐに救助に来るように頼んであった。一回だけ、頼みもしないのに、数人が、私に向かって、競争をするように、向かって来た。私は、もっと、沖へ逃げたが、直ぐに捕まってしまった。訓練のつもりだった。彼等は直ぐに海岸に戻ったが、私はゆっくり戻った。そんな事も、イピン君は覚えていた。今は、流石に、足がつることを心配して、沖へ出ることはしない。
   

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