(^_-)-☆とはいかなかった [思うこと]

 2456 残念、流石に期待し過ぎでした。来年があるさ。文学賞は、今年こそと思うが、どうでしょうか。化学賞も、今年でなくても、取れるまで、毎年、期待できる。

 ノーベル賞のお話とは、異次元ですね。私はそんな中にいるのです。
新ダイレクターになっても、どれくらいの売り上げがあれば利益が上がるのか、分かろうとしないというのか、分かろうとしても方法をしらない。前の会社もそうだったし、前ダイレクターもそうだったが、総予算からとか、実績からとか、経費の総額予定を知ろうとしないので、基礎になる数字が出てこない、その数字がなければ、今の製品の利益或いは損失がどれ程なのか分からないし、見積もりの計算ができなし、予想利益を知ることもできない。そもそも、基礎数字を出すための前提条件を決めなければならないこともしらない。臨時だか、アルバイトなのか、期間限定なのか知らないが、他の会社で経理をやっていたという人が来ている。この人に話しても、キョトンとするだけ、何度説明しても、そして、数字を出してほしいといっても、一向に、出してこない。
 駄目だろうなと、思うようになった。前の会社の日本人社長も全く同じだった。レベルが同じだった。見積もりの計算を私がしてやる、その時に、色々な前提条件を付けるが、何故、そういう条件なのか、疑問に思わないし、その事で、問いただされることはない。要するに、分からないからです。こういう会社で、手伝いをする意味があるのだろうか。
 もちろん、私の技術の事など、全くの素人と話をするのだから、意味がないと思う。インドネシアでは、出来ていない製品を作ってあげようとしている、私の仕事について、どんなものか分からないのは当然だ。だから、彼等は、私を評価しようがないと思うが、彼らの能力の中で私を評価するのです。

 数々の会社で新しい製品を作り出したが、その時々の会社の経営者は、私を敬遠した。教える対象の部下というか、押出し部門のインドネシア人全員から慕われるが、その他の部門の人や会社の上位の人には、煙たがられたし、多くの場合、無視されたり、嫌がらせをされたり、辞めさせようと画策したり、露骨にパワハラを仕掛けてきた。この会社の前ダイレクターは45歳くらいだったが、営業畑を20年経験していた人、しかし、何度も書いたが、営業に関してでさえスキルが不足、経営に何しては、全くの素人、その上に、空いて構わず嘘をつく。それを指摘し、勉強をするように、正直になるように、頼んだが、結局、何も変わらないどころか、私を無視するようになっていた。最後の4か月は、私がメールで問い合わせたり、頼んだりしたことに、全く、返信がなかった。前の会社の社長さんも、私が辞めてから、お願い事があって、何回かメールを送った。しかし、無視されてしまって、最後のメールに書かれていた事も、嘘だったのでしょう。半年過ぎるが、書いたことを実行してくれていない。私からの催促がないことを幸いに、もう、忘れたのか、忘れたふりをしているのでしょう。私の常識の外の人達が多いようで、困ってしまうばかりだ。
 やはり、就労ビザが切れる来年の二月で、インドネシアでの仕事は辞めることにする。今度こそ、気が変わらない筈だ。
IMG_4429.JPG
IMG_4430.JPG
  ジャバベカ2に入って直ぐのロータリー付近の様子、この付近の、Uターン場所は、塞がれていることが多く、大きく遠回りをして、又、ここに戻ってきてから、チカランバラットのジャラントール、ゲートに向かう。


タグ:無理 無駄 諦め
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0