(^_-)-☆自己満足 道楽 1 [思うこと]

 3196 よく、他人に、何故、インドネシアへ行ったの?インドネシアのどこがいいの?と、聞かれる。先日の大学の同級会でも何人かから聞かれた。このことについては、自己紹介でも書いてあるが、何度か、ブログでも書いたと思う。

結びを先に書いておく。道楽、自己満足を求める生き方だ。それが、努力しないでも、結構、成り行きでできた。
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ここからのスタートだった。この階段で、すべてが初対面の同級生と写真を撮った。私だけが、坊主頭だった。左の上が学生課や電気、電子、機械、右下が土木,醗酵、応化、そして、右の奥に、バドミントンと卓球の練習場と囲碁将棋、華道、茶道の畳部屋があった。

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一力食堂がまだあった。開店が、私が入学した年だった。55年前だ。朝食が30円だった。夕食が50円だった。今は朝食はやっていないようだ。

そもそもの、考え方から、再度、書き出す。大学の時に、卒業していった先輩たちの多くは、大企業に就職していった。国立大学の工学部に入学すれば、就職先は大企業から引っ張りだこという世相だった。その通りだった。その先輩に中の何人かからは、外国、主に欧米に派遣されて、行ってきた、という、話が伝わってきていた。私も、卒業後は、その人たちと同じような状態になることを当たり前のように描いていた。

ところが、東京オリンピックが、終わるころ、私の一年先輩が就職を決めるころ、その状況が一変してしまっていることを感じさせられた。何やら、大不況になったと思った。すべての上場企業の新卒採用はゼロになった。呑気に大学生活をエンジョイしていた私にとってはショックだった。そして、私たちの就職先探しの時期になると、景気もドン底らしくて、去年より、求人が少なく成っていたというより、4月の時点では、全く、無かった。やっと、求人票が掲示されだしたのが、6月になってから、それも、聞いたことがない名前の中小企業からだけだった。

入社試験が始まって、受けに行っても、先行者からは、百人以上の応募があって、取るのは、一人、二人だけだと説明されたとか、そんなで、私の就職先も、窯業志望だったが、求人なし、卒論担当の先生の紹介で、極東貿易関連の東プラ精工を受けることにした。夏休み、北大で卓球の国公立選手権大会に参加し、トンボ返りで、面接、ここで、初めて、開業2年目、東レ、極貿、臼井国際(地元)の子会社ということを知って、プラスチックの成型のいろいろを手掛けていることを知った。海外志向はあきらめて、ここで、お世話になることにした。
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