(^_-)-☆帰宅 ブンクルから [インドネシア]

 3502 出発をもっと早くすればよかった。18:20だから、ホテルのチェックアウトが12時、16時半ごろまでどうしようか、ドライバーを半日ということで頼んだ。始めに、海岸に行きましょう、ということで、案内されたが、これが汚い、ゴミだらけ、よくこんなで、満足しているなと感心するくらいだ。5分くらいで、その海岸から離れて、海岸道路をしばらく走った。人気が無い海岸で止めてもらった。そこは、ゴミがなかったので、20分ほど、海岸を歩いてみた。何年前には、確か,カブトガニが水際にいて、小さい子が捕まえて遊んでいる風景がった海岸だと思う。今は、その雰囲気は全くなし。
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次いで、ベンテンタケシならぬ。ベンテンマリオボロという、イギリス軍の要塞に案内された。ここも、以前来たことがった。ベンテンとは城のことだ。1942~5年まで、日本が支配していた場所だ。例のパレンバン落下傘降下先作戦から、ブンクルにも攻め込んできたのでしょう。こんな要塞、簡単に落とされそうという貧弱なものだと思う。140年間の植民地支配が終わった。本当に短期間だった日本の占領は、こういう、所を見ると、インドネシアにとっては、ついていかな、思う。
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ついで、スカルノ初代大統領が三人目の妻、ファットマワティさんや家族と住んでいた家に行った。スカルノの生誕地は東ジャワのブリタールだが、第二次大戦当時はここに住んでいた、結構、多くの人が訪れていた。大勢写っている写真があって、第一から第三迄の夫人や子供も写っている。戦前、戦争直後の写真だから、第四のデビ夫人はいない。しばらく、訪れていた人や写真を撮る商売の人たちと話し込んだ。その中で、デビスカルノという話しが出て、まだ、生きているのかと聞かれた。生きてるよ、テレビによく出ているよという話をすると、びっくりする。

メガワティスカルノプトゥリ元大統領は、このファットマワティさんに、よく似て居ていると思う。デビ夫人を第四夫人として迎えた夫、スカルノを、どう思ったのでしょうかね。

ついで、そのファットマワティさんが生まれ育った実家?へも、行ってみた。誰も来ていなかった。スカルノさんとの写真はここの方が多かった。肖像画はとびっきり美人になっているが、当時の女性といては平均以上の美人だったのでしょう。だから、一二より、一緒にいる期間が長かったのでしょう。肖像画と一緒に撮影してみた。

国内線は、水など飲み物持ち込みがOKになったのでしょう、ブンクルーでも二度チェックがったが、アクア二本、何の問題もなかった。

タクシーの運ちゃんとも話が弾んだ。順調に20時には、ターミナル1から、整理券を出して待つ、ブルーバードで出た。いきなり、渋滞なし、今に渋滞にハマると思っていたら、グロゴールとアンチョール方面で別れる手前で、グロゴールを通るように言った。運転手、そのつまりだという。聞くと、アジア大会期間中、スマンギ通過の高速は、途中四か所のゲートは使えないようになっている。奇数偶数も関係なしに、バス、タクシー以外は、全て適応される。チャワンからはいつもの通りだという。朝5時から夜中の12時まで。だから空いてるわけだ。100Kで走っている。チャワンの合流でちょっとのろのろになった、そして、ブカシバラット辺りとタンブン辺りで、ミキサー車などがLRT工事エリアに入るために車線が少なくなっている場所あっただけだった。21時半会社に着いてしまった。新記録だ。
ということで、日曜のこの時間でも、高速の両脇の一般道(ガトゥットゥスブロト通り)は、大渋滞だった。明日から、ジャカルタに住んで、チカラン方面の会社に通っている日本人、通勤が無理になるんじゃないの。チャワンから入らなければならないし、チャワンで出なければならないからね。
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ブルーバードは大もてだそうだ。地方へ行っているタクシーを全部ジャカルタに集めてあるが、間に合わないという、明日から、もっと、大変になる。きついオーバータイムをしなければならなという。経営者は大喜びしている。

今回の旅は二日目がハイライトだった。そして、インドネシアの人達と、会話が楽しくできたことが、気分を良くした。皆さん、気さくに離し掛けてくる。山登りに上り下りでも頂上手前のテント場も頂上の外輪山でも、どこから来た?一人か?と聞いてくる。“こんにちは“とか、”元気ですか”“ありがとう”などと、知っていそうな言葉をいって、驚かせる。皆さん,喜んでしまう。ハイタッチをしてきたり、写真を一緒に頼んできたりする。

ベンテンマリオボロの位置口付近で近所のおばちゃんらしき人が、井戸端?会議をしている。その脇に、大木というか老木があった。この木何歳?と、皆さんに聞いてみた。300歳だと返事が直ぐ帰ってきた。木の名前は?と聞いたら、チュンブルーだという。本当?と聞いたら、本当だという。側にいた男性が、笑いながら、本当の名前が知らないが、何故か、ここではそう言っているとといっていた。信じるよ。分ったよ、と、日本語で言ったら、キョトンとしていた。有難う、と付け加えた。そして、“さよなら“といって、後にした。面白い。

今朝、目が覚めあたら、腿や脹脛が痛む、それも、かなりだ。二階だったが、Gへ降りるのに、リフトがなかなかこないので、階段を降り始めた、すぐに止めて、エレベーターを待つことにした。それほど痛かった、時間を追うにつれて、痛みが増す、車から降りるときも、かなり我慢を強いられる。山へ一泊してからの下段は、多分、リンジャニの時と同じ様に、負ぶってもらわなければならなかったと思う。リンジャニの時も上で一泊ではなかったから良かったと思う。今後、もし、山登りをしたいと思ったら、オジェックである程度の高度迄ゆけるかどうか確認しようかと思う。

インドンシア国内線での搭乗口はチケットに書かれている場所と違う確率が高いので、一旦、書かれた搭乗口で待つが、移動する場合の方が多いと思っていた方が良い。

22日は、イスラムにとって、レバランの次に重要な犠牲祭だ。いつもなら、10日以上前から、道端のあちこちで、牛やヤギを売っている風景があったので、ああ、近づいているなと分かったが、最近は、そのれが少なくなった。今年は、まったく、道端で見かけない。従業員に聞いたら、ほとんど、ネット販売で、二三日前に届けられるという。なるほどね。イスラム社会においては聖なる泉とされている、ザムザムの泉から湧き出るザムザムの水も通信販売で売っている世の中だ。牛やヤギは当たり前か。

前を丸々太った牛が運ばれていた。インドネシアの牛は一般的に、骨と皮しかないように痩せているがこれは例外だ。高いだろうなと思う。

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