(^_-)-☆どうなっているの [勘違い]

1008 腑に落ちない話が一杯で嫌になってしまう。もう、匙を投げよと思う。と、しているところに、従業員の何人かから、ゴシップ、太田さん、自分で会社を作ると云うのは本当ですかと。誰だろう、震源地は?迷惑な話である。「そんな元気ないよ」と、一蹴したが、噂の打ち消しはできないようだ。
 皆さん、誰もが、私ならやりそうだ、できる、そして、そうなれば、私に使ってほしいという気があるからです。残念ながら、私には全くその気が無い。

 ある日系の製造会社を訪問した。創業は15年以上前である。業績は殆ど損得なしらしい。その会社の駐車場が工場の裏側にあって、お客さんからは見えない場所にある。連れをロビー前で降ろし、私は裏の駐車場へ向かった。直ぐに、これは、何だ?雑草が50cm以上の長けに揃って伸びている。場所や種類によっては1m以上になっている。何の木か知らないが、押し茂っている。インドネシアは半年、何もしなければ気になるくらいの長けに草木は伸びる。見た状態では一年以上、放置したままのようだ。
 ほとんどの会社は、ガーデナー(草刈り人)を常時雇っていて、順番に草を刈る一通り刈った頃に刈り始めた草木を刈るような循環をするのが普通です。この会社は、それをしていない。これを全部綺麗にするには十人で刈っても一か月は掛りそうだ。
 雑草が横にたれていて、車が通る道を狭くしていた。両隣と裏は車関係の大工場、手入れが行き届いていて、ゴルフ場のような庭になっている。それと比べると、お化け屋敷に近い。蛇やトカゲが住んでいそうな気なする。経営者は会社の裏は見ないのでしょうか。インドネシア人のマネージャーも荒れようを報告しないのでしょうか。一般の従業員も見ないふりをしているのでしょうか。
 本社などから来た人も何も云わないのでしょうか。私なら黙っていない。
私はこの会社から仕事を頂くことを遠慮することにした。
IMG_2014.JPGIMG_2013.JPG
 昼食のソトクドゥス ブロックM、ピサーを二人分食べた。アイスティー(エステー)と合わせて、約、300円でした。久しぶりに食べて満足。
 15年~10年前にこの場所で金型を焼いていた。私にとっては、大変懐かしい場所です。こういう場所が日本にも欲しいのですが、云いだせない。
   
タグ:成長 雑草 庭師
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(^_-)-☆貿易自由化 [勘違い]

1005 私が知る限りでは何十年も前から、貿易自由化とか、市場開放とか、云われてきたし、云っても来た。其のたびに、反対する業種は決まっている。云っていることも決まっている。論議を尽くすべきだと。既得権を放したくない人々と、その人々から選出されている代議士たちです。そして、論議が途絶えると、ほっとするのです。その人達から論議を継続することは有りません。それを、何度も繰り返していて、今に至っていて、なお論議を尽くせと云うのです。どういう状態になったら、論議を尽くしたことになるでしょうか。彼らにとっては、自由化をしない、補助金は据え置くと云えば、論議を尽くしたことになるのでしょうね、きっと。
TPPって何か知っていますか。Trans-Pacific Partnership、
Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement環太平洋経済協定 自由貿易協定のことです。貿易で一番利益を上げている、ある国が、自由貿易反対と言っているのですから、他の国は自分勝手な国だと思うのは当り前。
 そして、その自由貿易反対と言っている人達は、税金から補助を受けている人達だし、自由貿易拒否で海外から安いものが入って来ないように保護されている人達です。二重に保護されている人達が、その既得権が無くなることを怖がっているのです。彼らだけが被害を受けるのではなく、その他にもいるという云い方をする。だから、それらの人たちのためにも、反対だと云う。そうでしょう、同じように二重に保護をされている人達のことです。
私は、せめて、二重の保護を一重にしてもいいのではないかと思う。それらの生産者以外はそれらを高い価格で買うことを強いられている上に、いつまでたっても、それらの生産者は自立しないのですから、きりがない。日本の文化や自然や風土を盾にして交渉に出席することすら反対する人たちには、何を云っても、出席を納得させることはできない。彼らの云う事を来ていたら、日本の地盤沈下はストップできない。自立志向も、ドンドン衰退する。その速度が加速する。地震や津波で日本沈没ではなく、自立をさぼっている集団を優遇することで、日本沈没は進行するのです。
 年金が砂漠の逃げ水のような状態になっていて、その逃げ足がどんどん早くなろうとしているときに、有る業種だけの保護を継続すると云うのは、その業種から選出されている代議士である。
 
妻の誕生日、おばあちゃんの誕生日である。11月始めには私がいないので、孫の一人と私の三人分の誕生日祝いを一遍にやってしまった。イチゴショートケーキとモンブランを一緒に食べるのが恒例のやり方である。

 IMG_2008.JPGIMG_2008-.JPGその下の方の孫の自転車の補助輪をはずした。すぐに、乗れるようになった。上の子と早速、家の前で、しばらく一緒に乗っていた。
 
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(^_-)-☆人は欲で作られている [勘違い]

今、インドネシアで一番有名な人の名前は、ナザルディンです。複雑すぎて私にはよくわからない。知っていることは、国の金をかなりの額、懐に入れたひと、大統領と同じ民主党の人、一か月以上前から指名手配されていて、国外で逃避行をしていた。南アメリカのコロンビアで拘束され、インドネシアへ戻された。その費用が、二十億円とも、三十億円とも云われている。KPK(汚職追及委員会)で尋問が始められた。
この流れをナザルディン劇場と言われている。どんな人の名前がこの人から出てくるか、それを心配している政治家も多いと思う。暗殺などの口封じをねらう人から、彼を護衛するという理由で、高額な護衛費用を使っているという話もされている。
これは、欲望のぶつかり合いでしょう。
 これも、毎年のことだが、金持ちと自負する人達が自己満足を満たすために、お米や砂糖や洗剤や日常的に食べたり使ったり知るものを低所得者に振る舞う。その方法が、一か所にそれらを集めて置いて、開門と共に一斉にその場所に殺到するというやり方です。多くの怪我人は勿論、何人かの人もその群衆の中で亡くなる。同じ場所で同じ人が振る舞う。そこで、繰り返すのです。
プアサは欲望を抑えるはずですが、与える方は自己満足という欲望を丸出しにする。貧困者は物欲を丸出しにする。変だと思うが、イスラム的には、問題ないらしい。
プアサはモハメッド将軍がアラーの神がそういっている、といって、支配下の人々に義務付けたことから始まる。イスラムの各種習慣や制度は、全て、この流れで、出来上がっている。それは、モハメッド将軍の欲望そのものです。聖職者と言われる人々は、どんな宗教であっても、それらで信じられていることを、民衆に、広げて信じる人を増やしたい。同じ宗教観を持った人を増やしたいという欲望そのものです。それぞれの宗教を信じれば、幸せになれる、死んだ後は天国へ行ける、といって、人々の欲望を掻きたてているのです。欲とよくとのぶつかり合いです。
人間の本能は様々な欲で出来上がっている。その欲で塊の人間が神を作ったのですから、当然、どの神も、欲を丸出しにしている。
そして、人間は、その神(仲介者である預言者や聖職者)を信じてしまえば、洗脳されたということになる。その洗脳された程度は、人によって違うことも当然です。人間ですから、一人一人違いがある。
私のように、誰からも洗脳されていないと思っている日本人は多いと思う。宗教的行事は生まれながらに参加しているというか、付き合っているが、それらは、生活の便宜上、都合が良いから、参加したり、使ったりしているが、何かを信じているからではない。宗教を信じなくても、自分の欲望を満たすことができると思っていて、その欲望は何かと言うと、「他人に迷惑を掛けない範囲で自分がしたいようにしたい。自由に活きたい」です。それでも、自分が意識しないで迷惑を掛けていることもあるかもしれないとか、それは、いつも、意識をしようと思っている。ただし、明らかに人に迷惑を掛けていると私が思う、人や団体を私は容認しない。自分や身の回りに降りかかってくれば反撃をする。
今も、その反撃はしている。私の欲を満たすためです。
IMG_1459.JPGIMG_1458.JPG プアサの時の方が混むフードコート。新札を10%増しの金額で売っている女性です。日本のお年玉のような習慣で、新札で小遣をばら撒くのです。
  
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(^_-)-☆日本は夏休み [勘違い]

 道具が無いので、仕事ができない。大工が金槌や鉋を持っていないのと同じで、押出屋が押出ラインを持っていなければ、仕事をしたくても出来ない。と言うことで、日本にいても仕方が無いので、インドネシアへ行く、今度は道具ができるまで日本へは戻らない。弘法に書く物を持たせずに、さあ、何でもいいから書いてくださいと、言われても、弘法様でも途方に暮れるでしょう。
 会社は明日から夏休み、15日までだそうです。しかし、休日だからといっても休めない人もいる。三平ではないが、モー、大変なんですから。サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ。と言うわけにいかないのが昨今です。私はサラリーマンだと思ってはいないが、サラリーマンに気を使う必要があるので、サラリーマンの立場にたって、物事を考えなければならない。と言うことで、インドネシアへ出発する前、日本の休み中に二回ゴルフに付き合わなければならない。

 今まで日本のどこかの会社が作ってそれを輸入している会社が、現地調達をしたいと言うインドネシアで受注する製品のほとんどが、サンプルを貰うと、図面通りにできていない。サンプルと図面と違うがどちらに合わせますか、と聞くと図面通りに作らないと本社の承認を得られないと言う。サンプルは日本で承認を取っているのでしょう?と聞くと、曖昧な返事で、ともかく図面優先だと言う。その通りの製品を作って、本社のOKを貰う。ところが、現地の組み立て工場に納めると、こんな製品寸法が出鱈目で、組み込めないとクレームが付く。そういう例は何度もある。相手は名の通った大企業です。
結局、組み込む相手のサンプルをもらって、それに、合うように製品を作りなおす。すると、日本からのサンプルの形状とほとんど同じなる。
 日本の押出成形屋が図面通りにできなくて、組み込む側を押出製品に合わせたのか、組み込む側の設計変更があって、それに合わせて押出品を作ってが、製品図面を変更していなかった。かの、どちらかなのだが、どちらにしても、製品の受け入れ検査はどうしてやっていたのでしょうか。図面通りにできていない方がOKになるのですから、面白い。ISO9000なんとかをしっかり取っている会社同士の取引です。
 最近また同じような問題が発生したとか、名の通った某車のシート屋さんだとか、車のシート屋さんは以前にも同じような問題があった。ご用心。布の厚さが変わるので、押出品は現物物合わせになるが、図面は変更しないのが社風らしい。Bromo.JPGBromo1.jpg
 ジャワ島東部のブロモ、火山です。外輪山から下を見ると、駐車場から階段の下まで馬を使う、そこから一直線の階段を上る。インドネシアの山上りの階段は一直線がほとんどです。
   
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(^_-)-☆また失敗 [勘違い]

二回連続の大失敗でした。もう、嫌になってしまう。前回は空孔へ到着する直前にコンピューターを持ってこなかったことに気が付いて、やむなく、フライトを次の日に変更した。今日は、23;15のフライトだったが、早めに18:30に家を出て会社からドライバーを使って19:00に出発すると云う、余裕があるスケジュールにした。ところが、会社へ着いてから、一番大きなバゲジを車に積んでなかったことに気が付いた。ドライバーに家まで云ってもらったが、一時間かかってしまい、結局、家を出たのが20:00調度でした。空港には順調に21:30頃着いたが、空港で時間が無く、ブログの送信をしている暇がなくなってしまった。ボーディングパスを受け取るのに20分、イミグレを通過するのに20分、まったく、時間がかかってイライラする。これも、私がトランクを持って出なかったからです。こんなことは全くの始めて、やはり、注意力散漫と云うか、思い込みが激しいというか、いずれにしても、年齢の仕業と思うしかない。
結局、グログはアップできずに機内へ入るしかなかった。

パンガンダランのラフレシアとその他の写真を追加しました。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/page238.html
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage123.html
ヤント君が中国から、インドネシアへ戻ってきていて、久しぶりに、会社へ招待をした。押出のスタッフのほとんどは彼と一緒に仕事をしていたことがあるので、懐かしそうだった。中国で中国語を一年勉強して、また、日本の静岡県立大学大学院へ復学し、卒業は2013年4月予定だ。私が、保証人をした中での最優秀人間である。ただし、もう、結婚を考えないと、遅すぎることになってしまうのを心配する。会いごとにいつ結婚式をするのかと、私が尋ねるので、またですか。といわれるが、父親きどりの私としては、気になるところです。
一緒に昼食をとったが、やはり、何年、日本にいても、インドネシアにいる時ぐらいはインドネシア料理を食べたいようだ。会社の近くのワルンでテンペイ、タフゴレン、アヤムゴレン、それにナシ、スプーンやフォークを使わないで手で食べていた。やはり、それが、インドネシア人の平均的な好みがと思う。
今度は、日本のどこかで会うことになると思う。IMG_1152^.JPGIMG_1152.JPG
日本にいるインドネシア人に土産物を用意した。サリワンギ(紅茶パック)やブブール
インスタンやその他のブンブ(インドネシア料理には欠かせない、出汁のようなもの、味付けの基本になる)も買った。

 
タグ: 土産 帰国
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(^_-)-☆大変な社長さんが [勘違い]

 多くの部門があるのでそれぞれの専門家らしき大勢の日本人が駐在し、大勢の日本人が次つぎと応援?と言って出張で来る。来客も大変多い。その地位、仕事の内容、目的は多岐にわたる。順調とは言えないが、紆余曲折あって、現在に至っている。リッポチカランのヒュンダイ工業団地に二年前に進出した、プレスを主体にある程度のアセンブリや塗装などもする。その会社の社長さん、大変だと思う。本社のワンマン社長から、応援を頼まれたが、この会社を訪問した時に、現地採用に日本人スタッフの質の低さき、社長さん、こんなスタッフを日本の社長から押し付けれ、こりゃ大変だ、と思いつつ、手伝いを断ったが、社長さんとは、リッピチカランでよく食事をご一緒する機会がある。
 突然の状況変化もある。例えば、新たに進出してくるかなり大規模な会社がある。某プリンター屋さんのサプライヤーとして、である。日本の会社同士の打合せで、保税会社(EPTE)にする部門とそうでない部門(NONEPTE)を作り、この会社からの部品はEPTE部門で購入する。という決定が有った。その指図のもとに、現地工場も両システムに分けた。それも、申請して一年半かかってやっと、エプテ、ノンエプテ部門の操業開始許可が下りた。そして、打ち通りにEPTE工場に二億円という製造設備の設置を始めた。ところが、どうでしょう。その客先に考えが変わってしまった。というのも、その製品、インドネシアのノンエプテの会社に売るのですから、エプテではそれが出来ない。だから、エプテではない工場(ノンエプテ)の部門に納入してもらうと、日本での決定を覆した。現地工場としては覆すのは当然である。
 原因は、両方の日本の会社がエプテのシステムの内容を知らないので、知らない同士が、無税で装置を購入し、製品を売ることが出来るといううま味だけにとらわれて、条件について、全く、調べようとしなかったのです。ちょっとだけ、どちらかの、誰かが、現地のエプテの会社の人か、進出した工業団地の日本人職員に聞けばよかったのに、思い込みだけで何もしないまま、喜んで決定してしまった。その、決定会議か打合せか知らないが、事情を知らない人だけでシャンシャンとやったのでしょう。その場を想像すると、・・・です。感想を書けない。
 現地へ進出して初めて、客先は、これはまずいと知った。その会社の現地も客先の売り先がノンエプテなのにエプテ部門で組み立てをするのは変だと感づいていた。しかし、いまさら、決定は覆さないだろうと考え、現地同士の確認をしないまま、本社の指示通りにエプテ工場に、そのために大型クレーンや給水排水機構や機械装置の電気やエアーの工事もし、無税で機械を輸入し、設置をし始めた。装置の50%以上が入って、日本で作った金型も無税で入れてトライも始まった。来年初め初納入が始まるというスケジュールに依って、順調に推移していた。
 ところが、突然、ノンエプテの工場で生産をしなければならない羽目になってしまった。
社長さん、全く知らない場所で、決定が有って、その通りに担当者が進めていたのに、装置の移動先の環境を整えるためにノンエプテ工場のレイアウトの変更と新たな工事が加わって、何千万円の臨時支出をしなければならなくなったうえに、機械や金型の移動の手続きをベアチュカイとしなければならなくなった。どちらの期間もはっきり客先に云えないでいる。準備がいつ終わって、試作の始まりがいつになるという話が出来ない状態になっている。
IMG_0313.JPGIMG_0313-.JPG
西海岸の北半分、日曜日と月曜日の朝8時ごろ


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(^_-)-☆どうも、変です。 [勘違い]

IMG_6786-.JPGIMG_6786.JPG タンゲランにすごい人もいる物だと思う。かなりの困難な事態に陥っているにもかかわらず、内心は読めないが、外見的には落ち着いている。困難の原因は、私には分かる。参謀に恵まれていない。自分が選んだ参謀ではなく、与えられた人たちだから、なお、歯がゆいと思うのだが、それを、皆の前では口に出さない。
私ならとっくに放り出して逃げだしてしまうと思うのだが、そのような気配を全く感じさせないで、ひょうひょうとしている。幅広い知識があるようで、経営の経験も豊富だと感じる。参謀に恵まれないとともに、これは当然だが、インドネシアの事情も知らない。信じていいこと、信じてはいけないこと、その区別がつかない。それでも、平然としているように見える。

例えば中古機械に輸入は原則禁止だが、許可を取れれば輸入できるということを聞いている。中古機械を輸入して売っている会社もあるのですから、全面禁止ということ全くないと思う。そして、保税会社の認可を受ければ新品、中古の区別なく自由に輸入できるという話は、私は全く信じない。そんなわけが無い、保税会社であっても、中古機械は審査を受けて許可を受けることは必要だと信ずる。これ等のことは、関税が高いか安く済むかの駆け引きの問題だが、免税だからと言って、機械に価格が幾らでもいい、タダ同然でもいいということはあり得ない。
常識的に考えて、その機械の価値が幾らかくらいかを評価して、免税でない場合の税額はいくらになるかが計算され、その上で、それが支払い免除になるというのが本筋です。そういうことは無いかもしれないがいつあるかもしれない、その装置が必要無くなって何処かへ売るということになれば、税金を払ってからでなければ売れないし、捨てるにしても、完全ぶち壊して再起不能にしてから捨てなければならないはずです。その評価は、輸入した時の価格から割り出すでしょう。
ですから、常識的に考えて、エージェントが言っていることは疑ってかからなければなりません。

インドネシアの道案内の看板、緑地に白で書いてある。こういう目立つ新しい看板は珍しい。木の陰や他の看板で見えなくなっている方が多い。ボゴール方面高速道路の終点、チレニイを出た処、左へ曲がればプンチャック、タマンサファリまっすぐ行けばランチャマヤ、リドのゴルフ、スカブミを通ってプラブハンラトゥへ
もう一枚は、プラブハンラトゥから出た処で、右へ曲がればその他の海岸へ、真っ直ぐ行けばスカブミ。
EJIPの会社を訪問してきた。
  
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(^_-)-☆つまらないことだが [勘違い]

IMG_6696.JPGIMG_6695.JPG
  大雨が降り落ちる中を金型屋へ向かう。車を洗うことは無駄である。私の車は、いつも泥をかぶっている。雨にぬれて、埃やちりが付着して汚くなるのではない。泥水のドロドロの中を走るのです。車は泥んこだらけ、乾けば泥の厚い膜が跳ねた模様でついている。もし洗えば、細かい粒子の赤土がどっと流れだすでしょう。
 生産の方は落ち着いて、今日は50セット準備が出来た。明日からは、短い方を最低70セット準備できる。
 問題は、形状だけではない。NGの原因は外観不良が多く、人の手で触っただけでもその跡が付いてしまう。ひどければ拭いても消せないのでNGになってしまう。そういう中の一つとして、インドネシア人はミニヤックと言っている、油のしずくを落としたように光った小さい点々が出来てしまう。原因は原料自身にある。しかし、原料を変えるわけにはいかない、この原料で、消すような条件を見つけなければならないが、直ぐというわけにはいかない、それが有る状態でも生産を続けなければならない。
 それを消す方法を考えた。良い、磨き粉が見つかった。ちょっと手間はかかるが、NGにしてしまうより遥かに助かる。

 金型を新しく作れば解決するという話では無いにも関わらず、何が根拠なのか、金型を新しく作るらしい。100万円くらいかけるらしい。いつになることやら、私がいる間には絶対間に合わない。早くても、半年かかると思う。その前に中止になる確率が少なく見て90%以上あると予測する。金型が出来ても、問題は解決しないし、今までの安い金型(40万円)でやることに結局なるでしょう。私にとってはどうでもいいことだし、まずいことは私の責任ということでかたづけられるでしょう。世の中、そういうものです。

 仕事をしているという実感があるし、インドネシアで、後、何年間かは、押出の仕事をするわけで、私が、フォローしなければならない状態にならないようにしっかりやって
もらいたいものです。

 カリマラン川沿いのカリマラン通り。夜は真っ暗になって若い女性にとっては危険な道になる。
 20回に一回の確率でニアピン賞を取ることができる。その数少ないうちの一つです。黄色いボールを使っている。

  
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青春謳歌の一幕 [勘違い]

spisopiso.jpgBungawanSolo.JPG 今は、知らないが、当時、卓球の試合の団体戦は、シングル、シングル、ダブルス、シングル、シングルという順の5ゲームで三勝を挙げた方が勝ちという形式だった。四人で団体戦組み、その中の実力一二の二人がダブルスを組む。順番は、作戦で、相手のNo,1とこちらのNo,4が当たるように考えるとか、No,1同士をぶっつけようかと考える。一般的には、No1、No3 ダブルス、No2、No5にするチームが多いので、こちらの誰をそれにぶっつけるかを考える。相手の一人一人の大多数は中学校の当時からの知り合いが多いので、大体の実力は分かっていた。他の学校は、顧問のコーチが決めていたようだが、私にチームにはコーチはいないので、キャプテンが主に決めていたが、メンバー全員で、相手の誰と当たりたいとか、当たりたくないとか言い合って決めていた。それは、それでいいのだが、高校二年の時、静岡県中部大会団体戦の準決勝で、私はその時、自チームのNo3として、ダブルスの後、4ゲーム目にエントリーしてあった。本当の作戦は、三試合で、二勝一敗で来て、私は捨て石で負けてもいいように相手のNo1にぶつけ、二勝二敗でチームのNo1が最期の相手のNo4に勝って、三勝二敗で勝利する作戦だった。処が、作戦に反し、負けてはいけないダブルスで負け、そこまで、一勝二敗になってしまい、私が負ければ終わりだった。私は中学の時にその相手と二回試合をしているが、簡単に負けてしまっていた。自分のチームの全員が、もう、だめだと、あきらめてしまい、ヒドイことに、試合場所の周りで応援するはずの自分の学校のメンバーが誰もいなくなってしまった。私の次に出場するはずのNo1でキャプテンもいなくなっていた。何だこりゃと思った。相手の学校の応援団は強制的だろう、大勢来て大声をあげていた。
 試合が始まった。私が簡単に負けるはずだったが、最初から、どうも様子が変だった。私のサービスを相手はことごとくリターン出来なかったし、相手のサービスは簡単にいきなりスマッシュを決める事ができてしまった。相手は、そんなはずではなかったという焦りが、もっと、緊張を膨らませ、がちがちになっているのが分かった、試合をしていて相手が気の毒になってしまった。相手のコーチがいろいろ指導したが、空回りだったのでしょう、最期まで、ペースをつかむことができなかったし、打つ手を変えようともしなった、ずるずると、私が勝ってしまった。自分でビックリだった。
 回りを見ると、他校の女学校の中学校当時から知り合いの友達が大勢、私を応援してくれていた。中に、私が片思いで、それに気がついてくれず、本人は友達と思っている女性も応援してくれていた。勇気百倍だった。自分のチームのメンバーの応援など必要なかった。もう、夢見心地で、アイドルになったような気分だった。
 勝って、5ゲーム目に出るはずのキャプテンはどこにいたかというと、着替えてしまって帰り仕度をして、自転車でグラウンドをぐるぐる回りながら私が着替えて出てくるのを待っていてくれた。帰ってしまわなかったのが救いだった。急いで着替え直し、会場に戻って、試合に臨み、簡単に勝って決勝戦まで進んだ。決勝では私が5番目になったが、私までまわって来ないで負けてしまった。こんな、チームでしたが、先輩も後輩もなく、和気あいあいだし、キャプテンとは小学校からの一年上の兄さんのような付き合いだったし、練習が終わって、自転車の後ろに乗せてもらい、二人乗りで、帰宅する機会も多かった。高校まで同じで、大学は違ったが、国公立選手権の会場や私が郷里に帰った時に静大の卓球部で先輩にお世話になったこともあった。
 静岡県庁の事務長を長期で勤め、長い間、県知事の補佐をしていた。卓球部のOB会で数年前に会って其の当時の話をしたら、覚えていた。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
スマトラ島のトバ湖の西の端にあるシピソピソの滝、高さは、一見しても、那智の滝の倍はありそうだ。
 中部ジャワのブンガワンソロ(インドネシア一の大河)の渡し船。清き流れは嘘、茶色く濁っていて、流れ来るゴミの量は半端じゃない。
   

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絵日記 [勘違い]

IMG_3095.JPGIMG_30931.JPG
 PT.PARAMOUNT BEDとのお付き合いは、PT.KITAGAWAが近所だったので、進出した1996年にご挨拶に伺った。その時、坂本社長と初対面でした。押出製品はその時頼まれましたが、設備が整っていなかったので、その時は、出来るような設備が入るまで待ってほしいと話した記憶があります。その後、坂本社長はどこかできるところはないかと探したはずです。しかし、インドネシアでできるところがありません。1999年にできる大きさの設備を入れたので、出来るようになりましたと,言ったところ、早速、作ることになったのでした。その後、十年以上過ぎても、P.BEDさんが使う押出品を作ることができる日本人は私だけですし、インドネシア人では私の子供たちだけです。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage036.html
P.BEDさんに関するページです。
 KIICの某S社を訪問した。今月、実に四回目です。最初は、インドネシア人の購買の人にアポを取って行ったところ、急な会議があって会いないと言われてしまった。二回目はその、インドネシアジンスタッフに会うことができた。ところが、押出製品のICケースについての知識は全くない。話すことすべてが、トンチンカンで、話にならなかった。この人、大丈夫じゃないなと、思った。三回目は、インドネシア人は頼りないから話をしても仕方がないと思い。以前、購買だった日本人にアポをとり、訪ねた。ところが、その人、今は購買ではないと、訪問してから、言われてしまった。それなら、電話で、アポ取りをした時、言ってほしかったし、今の購買の日本人を紹介してほしかった。何かこの会社は変。やっと、その時、購買の人を教えてもらった。それから。一週間後の今日、その購買のMさんに会うことができた。
 四回目にしてまともな相手とまともな話ができたと思う。約四年前からの係わりの話をし、今後、どうするつもりなのか、尋ねた。インドネシア内の調達が目標になっていることは確認できた。そして、私の条件も話した。後は、反応待ちである。

 今日のオマケは、その、S社に入ったときの様子がただ事ではなかった。従業員の殆どだと思うが、外の広場で、秩序なく、佇んでいた。何をしているのだろうか、何かを待っているのだろうか。警備員の受付に車を横付けした時、聞く前に彼らから火事で避難していると言ってきた。
 取りあえず、Mさんに会いに来たと告げたら、会える状態かどうかわからないが、ロビーへ行ってくださいと言われ、行ってみたら、誰もいない。ゴムが燃えたようなツンとする臭いが充満していた。煙や炎は見えないが、とにかく、工場の中に刺激臭が充満し、中にいることは耐えられないので、全員が外の避難していたようでした。Mさん、直ぐに現れ、まだ臭い、会議室に通され、前述したとおりでした。
 開示室から約45分後の出てきたときは、臭いが軽くなっていて、車を正門に移した出るときには外にいた従業員は居なくなっていた。全員、持ち場に戻ったのでしょう。

http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。
 チカラン バラット インターチェンジ近くの陸橋の上でゴルフをしている。
KIIC S社の避難風景。

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