(^_-)-☆きつかった [病]

 1485 体調が普通か、異常かのバロメーターの一つは決まった時間に毎日ブログをアップで来ているかどうかである。とにかく、投稿し始めてから、何年もの間、投稿しなかったには一日もない。何があっても、何もなくても、とにかく、飛ばした日は一日もないはずである。ただし、時間は一定していない。今週は、その、一定していない時間にしか書けなかった。というのも、体調が芳しくなく、頭がクラクラ回っている時間が多かった。ラップトップに向かうと、眠くなってしまって、無意識に眠ってしまった。眼が覚める時間がまた、一定せず。眼が覚めても、頭が痛かったり、喉が痛かったりで、頭を使う気になれなかった。それでも、夜中の二時三時にでも。ちょっと調子が良ければ、夢遊病の様な感じで文を書いた。習性というか、習慣というか、書かないと、目が覚めた時は、書かなければならないと思うから、書いてしまう。今週中は今日も含めて、体調が良くなかった。思うような時間に投稿ができなかった。

現在二ラインが成形可能になっていて、トライや少しの量産をしているが、押出し機は三台ある。その、装置が足りなくて全部を運転できない状態なので、三ラインとも、動かせるように、装置を作っている。200万円ほどの追加投資である。3月中旬人は完成し、また、今までの二ラインではできなかった、エンプラのプルファイルの成型が可能になる。若い時に比べれば、速度は遅いように感じているが、着実にできることが増えているという意識はある。
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 2011 7 日本にいる時に作ったLED直管蛍光灯タイプのPCカバー、この時の金型はインドネシアで作って持って帰ったもの使った。インドネシアで作った金型と私の技術でできることを証明したのでした。余計な機能が付いた大げさな装置や金型は必要ない。
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 間もなく、開店予定の日本食レストラン、リッポチカラン Jl,シンガラジャの東の端、ローソンの右隣、まだ、です。間もなくです。開店したら、ちゃんと紹介したいと思う。
   

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(^_-)-☆アルコール依存症 [病]

1061 既に18日夜のフライトのチケットを買った。暮れと年始の航空券の価格が高くなるのは仕方が無い。10万円弱である。また、同時にアラックバリを一ダース入手した。なかなか手に入らなく一か月ほど前に予約しておいてやっと入った。価格は一本20万Rp約1700円である。日本で買う酒に比べれば高いが、インドネシアで酒を買うことを思えば半値以下である。アルコールに飢えている日本人にとっては
こんな魅力的なアルコールは無いと聞いている。椰子の実から作った焼酎という人がいる。ビールで割ったり、スプライトで割ったり、それぞれの好みで楽しむことができる、応用が広く効く酒とも聞く。40度です。ジャカルタの免税店では手に入らない。バリのドメスティックターミナルの売店で運が良ければ30万Rpくらいで、アラックバリ、アラックブラスを手に入れることができる。ただし、ドメスティックのバゲジに中に入れる子ことができるのは日本までと聞いている。運が悪ければ、二本以上は没収される。
 私も以前フローレスへ行って地酒を4本ばかり買ってラブハンバジョ空港で正直に本数を云ってしまったら、制限以上は没収されてしまったことがある。
 機内持ち込みは酒に限らず液体類は全て没収される。チケットカウンターへ入る前にX線チェックが在り、搭乗待合に入る前にもう一度X線チェックが在る。だから、1回目のチェック後液体類を買って場合も次のチェックで没収されるので、最近目につくようになった自動販売機で飲み物を買っても飲み干すしかないので注意が必要です。とにかく、ドメスティックの場合は手荷物の中に液体を入れたまま機内に入ることはできないと思っておいた方が良い。
 インターナショナルの場合は免税店からの領収書を中身とセットで免税店のバッグに入れて置きことが大事です。せっかく免税店で買ったアルコール類を没収された人もいるので、気を付けた方が良いと思う。
 アル中の現地日本人が喀血をして緊急入院、ICUに五日間入ったそうで、今は一般病室に移っているが、そんな日本人を雇っておく会社の採用基準はどうなっているのかと不思議に思う。一時は日本から身内を呼び寄せた方が良いと云う状態だったそうです。一度雇ってしまえば、そんな状態になっても首にできないばかりか、行きつくところまで面倒を見なければならない。そんな人を雇うメリットはどこにあるのでしょうか、信じられない。こういう話は、ビールを杯一杯で酔っぱらってしまう私、注射の前のアルコール消毒で皮膚が真っ赤になってしまう私にとって、本人に対しても、雇う側にたいしても、腹立たしいだけです。
 IMG_2334].JPGIMG_2334.JPG雨季に入って咲く真っ赤な花。
   
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(^_-)-☆藤枝蓮花寺公園 [病]

IMG_9915-.JPGIMG_9915.JPG いわゆる危険が大きい、危ない,と言った方が、本当のことを云っている、それほどでもないとか、影響はないから気にすることはないと云うと、それは、本当のことを云っていないだろうと思うのが、人間の心理です。そして、後者を説明が足りないとか、丁寧さが足りないとか、混乱を招く説明はするなどの、批判するのです。
 それに加えて、ニュースキャスターや解説者の説明自体が、私から言わせれば、云っている人によって、受ける印象は違う。騒ぎ過ぎだという解説者に反発するニュースキャスターもいて、その番組にその後、その解説者は呼ばれない、なんて、言うこともある。パニックになることを諌めようとする発言にも、これまでの説明ではパニックになっても仕方が無いという司会者もいる。結局、人それぞれでしょう。
私の気持ちは、自分たちの事より、震災の被災者と原発事故に立ち向かっている人々の事を最優先で自分の考えを整理してほしいということです。
 インドネシアのニュース専門番組がNHKの映像をバックに流しながら、日本の様子を伝えている。特派員は被災地を移動しながら、現地の様子を彼女なりの印象を加えて、伝えている。東京にいる特派員からは福島原発の様子を伝えている。勿論、それぞれの専門家が解説をしている。そこから受ける私の印象は、かなり詳細に伝えていると思うが、やはり、危険だというデータだけ目立って状態で出していると思う。危険が無くなって来たというデータは殆ど出していないと思う。

 民衆の受ける印象は日本もインドネシアも同じだと思う。だから、諸外国、どこでも同じように、日本全体が危険地域と思うでしょう。

 それと、これとは全く別の話で、父親としての義務とか、資格の話です。婿が家族を迎えに来ない事を3月15日に早々と決めて、予約してあったチケットをキャンセルしたこと、そして、直ぐ帰ってこい、直ぐ帰って来なければ、私の娘を誘拐者として訴えて、大使館に強制連行をする権利があるからその手段を取る、と、脅迫まがいの事をメールで云ってきたことはショックだった。私が送ったメールは無視されている。返事や答えが全くない。既に書いたが、娘は4日に日本を離れる。しかし、夫との戦いが新たな段階に入るでしょう。平和に暮らせるとは思えない。不憫だ。

 娘の希望で蓮花寺公園へ行ってきた。私は始めて、サクラは二部咲き程度、コブシの花が満開、“北国の春“コブシがこんなところにあったとは発見である。蓮花寺のハスの花には会えなかったが、発見と言えば、何十年振りかにレンゲの花に会えた。田んぼに一面というわけではなかったが、懐かしい花である。
http://nanbuindonesia.web.fc2.com/newpage105.html
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(^_-)-☆情けない [病]

IMG_9028.JPGIMG_9028-.JPG前のF社のこと、私の後継者と言うことで、本社の工場で33年の経験者。
53才で、私が始めてインドネシアへ来て、何もないところへ装置をしれて、高卒の何人かの新入社員に、言葉が全くできない状態で、手とり足とり、押出の技術を教え込んで、10年以上経過したところへ、その時の私と同じ年、53歳の人がやってきた。
何をするのかと思ったら、何もしない。作っている製品を見て、日本ではこんな製品はできないよ、と、つぶやいた。それから、何をしたかと言うと、各機械の稼働率や生産の収率を表に示すように、生産管理の担当に命じた。その結果を眺めて、一喜一憂をしている。収率が悪いからと言って、自分では何もできない。只、なぜ悪いのかと呟いているだけ。
ある日、生産管理の人間に原料別の購入先と電話番号、担当者のリストを要求した。リストが出来ていないと思ったのでしょう、明日までに作ってほしいと言っていた。しかし、ある。担当者は私が見ている前で、その人に渡した。それから、一週間後のこと、各部署の日本人8人で毎朝ミーティンングをする。その席で、「太田さん、原料の顔入先のリストをお願いしてあったのに、まだ、貰っていません、いつになりますか?」と発言した。これにはびっくり、先ず、そういう話は、ミーティングの場で言うことではないでしょう。押出の事務所で言えば良いことです。その場違いの発言に、頭が変じゃないのと思った。それから、「一週間前に担当者から受け取ったでしょ、私の目の前で、ですよ」と言ったら、「そんなことはないでしょう、受け取っていません」と発言。2人で言い合う場では無いので、私は、現場事務所で確認しましょう、ということで、終わった。ミーティングが終わって、PPICの担当者のところへ行って、聞いたら、彼も、渡したと言っていた。当り前である。ご本人、首をかしげている。インドネシア人担当者はそれを見て、改めて、プリントアウトして渡した。ご本人、それでも、全然、記憶がよみがえって来ない様子。だから、次の日のミーティングでも、私の勘違いでしたと発言することはなかったし、個人的に私に謝ることもなかった。だから、ミーティングのメンバーの皆さんは、私が忘れてしまって渡していないと思ったままになってしまっていると思う。ひどい人が来てしまったと思った。そういう、若年何とかというか、記憶喪失というか、もともと、全く記憶をしていないというか、ご本人が忘れてしまってインドネシア人が悪者にされる事例が次々と繰り返されている。いまでも、そうだと、聞いている。ご本人、自分で仕分けしてファイルが出来ない人らしい。他人にあれがないのか、これがないのか、と言うばかり、あると、それに、日本語で何のファイルと書いている。日本語のファイルではないのでそれを見ても分からない。

ところで、その仕入れ先リスト、どう使ったのでしょうか、電話を掛けて話をしたり、メールで何かを要求したりした形跡が全くない。原料に関して自分で何かする様子は全くない。何が目的で、そのリストを要求したのでしょうか、そういうリスト作っていないだろう、要求したらあわてるかもしれないと思って、要求したと勘繰りたくなる。勿論、無かったとしても、作れというだけで、自分が作ることはできない。
 
 その会社、私が残した仕事以後は新しい仕事は始まっていない、勿論、全部、できないと断ってしまっているからです。インドネシア人はできますが、その人が出来ないから、インドネシア人に任せて、やらせることはできない。
インドネシア人が呆れていることを本人はご存じない。
勿論、この会社も、ある仕事だけで、新しい仕事は取れない。
バリ島で一番よくみられる花、カンボジィアです。髪、耳に飾ります。スパでバスタブに入れます。棺桶に撒きます。白とピンクがある。インドネシアの人たちは花や木の名前を知らない人が大部分ですが、この花の名前は多分30%位の人が知っていると思う。

   
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(^_-)-☆切実な願い [病]

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ワールドカップ、ドイツが負けた。婿殿が悔しがっているのが目に見えるようである。日本もとっくに負けたのだから、優勝でもされたら、でかい高い鼻がもっと目立つようになってしまう。
金型の最終チェックに行ってきた。あす朝、金型を受けとり、昼前には試作が始まる。
客先にはこの部品を使う製品の注文が日本から大量に来ているとの知らせ、責任を感じる、早いところ製品化したいと思っている。
インドネシアでやりたいようにやっている私が言うのも変ですが、苦痛があるから病院へ行って、色々な検査をしてあなたには何の異常もありませんと言われるほど、なんとかしてくれよ、異常がないわけがないのだから、なんとか病名を見つけてよ、と思う事は無い。
 先日、家を出る前に、NHKのASAIDHIで頭痛について特集していた。色々な頭痛があるもので、その原因を医者は問診だけである程度は特定しなければならないとは大変な仕事だなと思う。その時に総合診療科の医者が招かれて、原因の特定の仕方を解説していた。なるほどなと思う。私のパニック障害を特定したのも総合診療科の医者でした。なんでも、分けの分からない症状で、あちこちの検査の結果に異常がない時に、駆け込む場所です。そういう科があることさえ知らなかった。多くの人も、そういう科があることを知らないと思う。呼び名が良くないと思う。原因不明病気科とでもすれば分かりやすいと思う。大きな総合病院にしかない科だからなお知られていないし、総合病院の中でも、あまり、中央の目立った場所になく、奥の隅の方にあるので、普段用事のない人はその前を通ることは無いのでそういう科の名前を見ることもない。私が行き当てた静岡県立総合病院の総合診療科も患者は非常に少ないし、やはり、ポツンと、色々な科から離れた場所にあった。案内の地図を見ても、なかなか、見つけられなかったし、近くまで行っても、人がほとんどいないので、ここでいいのかなと心配するくらいだった。
 他の科は、非常に賑わっていた、坐る場所もないくらいで、付き添いの人は殆ど立っているくらいだが、総合診療科はガラガラで、長椅子に寝ころんで待っている人もいたし、他の科の患者もこちらに座っていた。
もっとも、一人あたりの診療時間が長い、微に入り、細に入り、確認する必要があるからでしょう。それは、仕方がないと思う。患者はそれで安心を得られるのですから。他の科もそうだが、担当医が少ないこと、完全予約制なので、一人に長くかかる分、予約を搾っていることも空いている原因の一つである。
 頭痛に限らず、原因が分からなくて、あちこちの痛みを長期で耐えている人は多いはずです。総合診療科の存在を大々的に宣伝したらいいと思う。
私が、沢山の病院へ行った限りでは、インドネシアには原因不明病を追求する科は無い。それだけ、日本は医療が進んでいるということでしょうが、やはり、宣伝不足だと思う。

インドネシアでブンガバンカイと言われている花です。蕾から開く時に動物の死体が腐る臭いがするからそう呼ばれているのです。何種類もありますが、その総称と言うことでしょう。形は得意なものが多い、作り物のような姿が多い。

また、全然話が違うけど、4トラベルに頻繁にアクセスしていただいていたPianoさんがしばらくの間、アクセスしていただけなくなり、気になっていましたが、また、現れてくれました。ほっとしています。

  

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(^_-)-☆最低最悪のコンビ [病]

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(どうしようもない)
ずっとさかのぼって、このパニック障害発病の一年半前ころ、それ以前は、ヒトウとO社長だったのでイトウに対する歯止めが利いていたが、イラノが社長になり、かなり程度が低いお二人さん、イラノとヒトウがそろった状態で会社を任されることになった。鈍感の二人だがプッツンだけは早い。プッツンされて、説明しても、「何のことを言っているのかわからん」とまた。プッツンされる。駄々っ子のようなもの、そのうち、プッツンされても、そのまま、相手にしないようにしたので、なお、程度の低い同志が、意気投合して、勝ち誇る。おまけにインドネシア語を覚えようとしないで、作り話のゴシップを情報として伝える通訳を重用した。言っていることは全て出鱈目の言いがかりだけ、自分で確認できないのです。多数決の世界なので、こちらはどうしようもない。
彼らが私に文句を言ってくることは、自分が直接何をされたということではない。私は、彼らから頼まれれば何でも、直接手伝っていた。彼らに被害を与えたことは一度もない。私はアドバイスもした。そのようにやれば、なにもかも、うまくいくし、本社からも、従業員からも好かれるはずである。しかし、気の毒なくらい、全く、出来ないことだった。
彼らの怒りは、私が、他の誰かの手助けをした、そそのかしたという情報を通訳から聞いたという話だけである。私にしてみれば、心当たりのないことばかりだった。
他の人が、何故、私を悪く言うのか、攻撃するのかと聞いても、答えないという。PT.AFMIのナガサワは、自分が追い出されるかも知れなかった、と、言っていたそうです。
これから書くことは、この事を踏まえての話になる。
 強烈ないじめが続いた。無知の極みは、人がわざと、嫌がらせて、作らなければ出来ない状態の不具合を、イトウの自作自演で作り出し、クレームを発生させ、私の責任にし、私をクレームの話に立ちいらないようにし、その対策についても、対策にならない対策を作り出し、客先や本社に報告をして、自分が解決したという演技をして見せた。いかなる条件でも、製造過程では出来ない不良の状態を、彼自身は、再現できたと、私に、吐き捨てるように言った。押出については全く素人で、ナイロンに色々な種類があることも知らないで、射出の専門家と自称している人間が、日本で私しかできない製品について、口をだし、出来っこない、状態が、出来たと言った。私に、その出来た状態を見せない。
 イトウ自身が、良品を折ったり曲げたり、断面形状を、物理的な力を加えて、変形させてしまって、押出の検査員が三重にチェックしてOKの印を押した箱の中に、それを、混ぜてしまったのです。それが、不良発生の原因でした。対策は、押出製品の出荷前倉庫にイトウが近づけないようにすることです。
 現実にこういう状況だったのです。怖いですね。
今度は、三年半ぐらい、さかのぼって、帰国する前、とどめの、程度の低さを食らった話。2006年6月26日 月曜日の朝、8時過ぎ、ここから、私の試練が始まった。ほとんど、突然、目眩がして、立っていられなくなり、今までに無かったことでしたので、自分自身びっくりで、病院へ直行、リッポチカランのシロアムという、総合病院です。クリスチャン系でインドネシアでは指折りの有名病院です。
しかし、病気はなんだったんでしょうか、結局、医者の見立てでは、血圧も血液検査の結果も、良好すぎるくらいだという。そのほか、心電図も正常。反射神経機能も全く問題なし。歳と疲れからだという。本当かな?と思いますが、そのまま、泊まっていても、進展は無いと判断し、目まい止めの薬というものをもらって、早々、翌日12時に出てきてしまった。何度も気絶しそうになるので、退院したその足で、家の近くのアニッサ病院へ行った。貧血と診断され、増血剤を処方され家に戻った。
その後も、どうしようもないので、アニッサ、ジャカルタのSOS,竹の子診療所、メディカロカ、プルタミナ、国立心臓センター(ハラパンキタ)、竹の子診療所、アニッサ、メディカロカ、国立心臓センターの順に二週間、渡り歩いた。



(底なしおバカさん)
 
長い間、狂気の苛めが続いたが、私が分けの分からない症状になっても、それは,やむことはなかった。
発病して二日後、会社代表のイラノに状況を電話で知らせたとき、電話で最初に、日本人の医者からは「飛行機に乗ることはたとえシンガポールでも保障できない」といわれた、と話したのに、また、AIUの保険が効かない病院でも後で領収書をまとめて請求すれば全額、もどってくることはわかっていたのに、ヒラノから出た言葉は、「太田さん、悪い事いわないから、日本へ速く帰った方がいいよ。」「なんで、そんな保険が効かない病院に行くんですか」見当違いのことを言うので、「有難うございます。迷惑かけてすみません。」と決まり文句で答えておいた。(彼は、領収書とともに申請すれば即日、保険会社から振り込まれることを知らない)
 
知識、行動力が私の100分の1も無い人が、何も知らないのに、私に、「悪い事言わないから」と、上から物をいう、面白い。苦笑してしまった。日本語の使い方も知らない。自分で確認行動ができない人だから、「悪いこといわないから、自分で日本人医者に確認してよ、」と言いたい。結局、最期まで私の邪魔ばかりして、手助けになることは全くしなかった。出来ないのでした。
一週間後、国立心臓センターに入院している私の部屋へ来て、私が立って対応しているのに、件のヒラノ、いきなり、部屋にあった椅子にのけぞる様に座りこんで、「具合はどうですか」私は、現状と、今までどこの病院へ行ってどんな検査をしたかを説明し、日本人がいる病院にも二箇所行って、日本人の医者の診断を受け、どうしたらいいかも聞いた。日本人医師は、危険だから「飛行機は勧められないシンガポールでも責任は持てない」と、言われたことをまた告げた。イラノもヒトウも、ぜんぜん聞いていない。イラノ、全く私の話を無視し、のけぞったまま、「太田さん、早く日本へ帰ったほうがいいよ」と、怒るように、言った。ヒトウは「金持ちは皆、シンガポールへ行くのに」と捨てるように言った。あほか、この人らはと、改めて思った。とにかく、厄介者は早くインドネシアからいなくなって欲しい、それだけだ。葬式でも出すことになったら一大事、自分たちでは何も手段はないし、独自に情報を集める事ができない、能力が無いので、その気持ちだけ。

見舞いどころか、裏付けもなく、ただただ、早く、インドネシアから消えろと、いいに来たのです。私は、孤軍奮闘、何とか、帰国できるような状態したいと、あちこちの医者に相談しているのに、その手伝いをしようという考えも、毛頭ない。出来ないので仕方が無いが、せめて、私の邪魔だけはしないように願いたいだけなのですが。

ここから、今日の話。50日ぶりに、マリアさんが来て、安心が増えた。部屋から鼠の糞が消えて清潔になった。妊娠したのだろうか、そのことについては話題にしない。

日系の中小企業で、日本人が一人しかいない会社が多くある。その中で、何社かは長期で勤務し、本社には交代要員がいそうもない会社である。そういう会社の中で、私が把握している数社は、その日本人が独裁者のように振る舞い、従業員いじめをしている。そういう会社から、今回、何人かを救い出すことができる機会を得たので、その動きを具体的にしている。高給で引き抜くのではなく、今より安い給料で来てもらえるのです。私が仲間意識で人を使うことは、今の従業員から、保証されるからです。仕事は楽しく、リラックスしながら出来るのが何よりです。怒鳴られながら、では、インドネシア人だって手伝う気になれない。
(手柄アピール)
それから、また、ほぼ、一週間後の日曜日、呼吸困難で緊急入院していた家の近くのアニッサ病院に現れた。今度は同社の日本人のヒラノ、イトウ、大津さん、三人そろってやってきた。というのは、土曜日に私のパニック状態(過呼吸)を見て、マリアさんが、危機を感じ、私の携帯電話に登録されている人たちで会社関係と思われる人全員に電話を掛けてしまったのでした。インドネシア人スタッフも10人ほど来た。
イトウ、曰く、「メディカロカ(ジャカルタ)の日本人医師、菊池さんに相談して、OKが出たら、日本へ出発する段取りをとるから、明日、ここを出て、メディカロカへ行ってください」と、のたまった。
この時、私の決意は、明日朝早くここを出て、メディカロカへいって、改めて、菊池医師の意見を聞くつもりでいた。医師に何を言われても、その夜、日本へ帰るつもりだった。前日土曜日に、メディカロカは休みだったが、竹の子に電話で、メディカロカの予約をお願いした。アシスタントを通して、月曜日9時に予約をしてもらった。竹の子の医師が「何か事故があったら大変なので、同じ会社の日本人をどうしても紹介してください」というので、イトウを紹介しておいた。だから、竹の子の医師からイトウに電話し、月曜日の段取りを話したのだった。それを、イトウが、あたかも自分が全て、手配したような口のきき方で、のたまったのだった。あほかこいつ、こんなところで自分の手柄話をヒラノに向けにしようとしている。2人とも、厄介払いが、自分の手柄になると思っている。事実、日本の上司は、元オダワ常務のように、こういうことを評価する人たちなのです。
それを受けて、ヒラノ、してやったりと、曰く「医者が帰っていいと言ったら直ぐ帰ってください」「キタガワ社長も日本へ早く帰るように言っているから、帰った方がいい」とまだ言っていた。「飛行機に乗っていい」というに決まっていると思いこんでいる。キタガワ社長が何故そう言えるのでしょうか、私から何も報告していないきたがわ社長が「早く帰国せよ」というのは、まったく、見当はずれである。キタガワ社長が言っているといえば効き目があると思ったヒラノの口から出まかせとしか思えない。キタガワ社長がそんな無責任なことを言うはずが無い。愚かな人だ。
帰国し、挨拶にいた時、キタガワ社長に確認したが、「私はなにも状況が分からないから、帰れとも帰るなとも、何も指示していない」と言っていた。当り前の話である。

私は、アニッサ病院でモルヒネや精神安定剤を投与され、かなり、不安がなくなっていたので、どんなことを言われても、明日の夜中にインドネシアを脱出するつもりでいた。チケットも既にマリアさんに頼んで、手に入れてあった。
ゴルフ場のハチの巣
     

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仏滅三隣亡に女神達 [病]

IMG_3441.JPGIMG_3439.JPG 今日もさえなかった。暑かったり寒かったり、頭の両側で、蛇が鎌首を揚げて飛びかかるようなシュッシュという音がする。その音がうるさくて眠れない。22:00に寝て、00:35に目が覚めてしまった。それから、眠れない、寒気で体がガタガタ震えるし、シュッシュとい音は相変わらずで、おまけに、両こめかみがずきずき痛んだ。どうしようもなかった。その中で、仕事の事を考えていた。02:30には寝ていてもしょうがないので、起きてしまった。それから、夜明けまでが長かった。病院へ行かないと決めていてが、この調子では明日のゴルフができなくなるし、耐えているのもつらいので、病院へ行くことに決めた。06:00頃、ご飯とみそ汁食べた。全て食べた処で、吐き気が生じた。それととともに、お腹が痛くなってしまった。食べたばかりのものを全部吐いてしまった。仏滅三隣亡である。目は回るし、一遍に五つも六つもつらい症状が来てしまった。
 07:00に家を出た。仕事のことで思いついたことを実行するために会社へ行った。口を半開きにして、前後左右の車を見ているのか、見ていないのか、何も考えないで、時に注意もしないで運転しているなと、運転しながら思った。ちょうど通勤時間でバイクが車の回り溢れかえっていたが、そんなことを気にする頭の状態ではなかった。金型の何点かを車に乗せて、金型鉄工場(ベンケルサンジャヤ)へ行って、修正を頼んだ。太田さん、どこか悪いの?顔色が悪いよ、と言われた。重い風邪にかかってしまったと答えた。水を持っていなかったので、そこの冷蔵庫からアクアのボトルを一本もらって口の渇きを潤した。08:15でした。
 そこを出て、ふらふら運転しながら、ジャカルタの病院へ行くか、ジャバベカにするか迷った。この時間にジャカルタへ向かうと09:00に着いてしまう。スリーインワンの関係で、行こうと思っている病院へは行けない。会社に戻って一時間、時間つぶしをするしかない。ということで、直ぐにジャバベカのハラパンクルアルガへ行くことにした。09:00前に病院へ着いた。ドクトル ウムウムに掛った。症状を全部言った。熱は下がっていて36.3度、血圧は問題なし、診断の結果が、食中りということになってしまった。おいおいと、思ったが、直すというより症状を和らげる、あるいは無くす薬を処方してくれたので、病名は何でも良かった。診察料、薬四種類三日分で約900円、領収書をとっておいて、いつか、保険会社に請求しようと思う金額ではない。これが、ジャカルタの日本人医師に掛ったら一万円以上になるでしょう。
 途中、果物屋へ寄って、リンゴとナシとドリアンを仕入れた。
 家に戻ったのが、11:00ごろ、リンゴとナシを食べた後薬を飲んだ。12:00過ぎにはお腹の調子は回復した。後は頭だけである。ふらふらは治らない。なにをすること出来ないから、テレビを見ながら横になっていた。
 
 16:00頃、ジャバベカゴルフのキャディーから電話がかかってきて、明日は何時スタートか聞いてきた。その時、私の状態をいったら、19;00に三人のキャディーCantikどころが家へ来た。ダギンサピとソプブントゥッツを途中で買ってきてくれて、私がおいしいおいしと食べている間に洗濯やアイロンかけや汚れた食器を洗ってくれて、21:30に出て行った。彼女達は明日05:00出勤である。お陰さまで明日はゴルフができそうだ。
ボゴール方面の山、多分,グヌン プトゥリか。
    

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