任せてほしい [体験]

IMG_2709.JPGIMG_2711.JPG 今まで、仕事の環境を何箇所か経験した。
それを大きく二つのパターンに分けると、押出成形だけと、射出成型と一緒になる。
前者は、裾野の富士プラ精工で夜勤専門の一年半、そのあと20何年かの太田化工にいた時、そして、直近のインドネシアでPT,AFMI, PT.MAKUTAのとき。
後者は、22歳から東プラ精工の7年間、1996年から、PT.KITAGAWA,
もう一つの分け方はその場を私が仕切ったか、他の人間の下にいたかで分けられる。その場合は、PT.AFMI時代が、射出と一緒の会社の方に移る。
 それはまた、製品を売る会社と技術を売る会社にわけた場合と、作業者(オペレーター)重視か機械(金型)重視かで分ける場合に見事に一致する。

PT.AFMIは押出というより軟質PVCのガスケットとチューブを作っていただけで、技術は持っていなかったし、樹脂の知識も全く素人だった。だから、押出成形の会社とは言えないものだった。様々な仕事を引き受けることはできない会社だった。それを、私が、何でも引き受けることができるようにしましょうと、手伝い始めたが、経営者に見事に拒否され、私が作った装置と、私がお手伝いしたお客さんと、それぞれの金型を与えた処で、追い出された。前日のハイド氏状態でした。

これは一例で、私がやるか、任されたとき期間は、仕事が楽しかったし、大きな実績を上げ、私も多くの蓄えを作ることができたが、従業員にも大きな配分をした。皆さんと利益を分かち合うことができた。評価も利益配分も私がやったからです。
ところが、それ以外のときには、押出部門は、一種の荷物、邪魔者として扱われた、私の部下たちも、冷遇され、給料の評価も低くされた。押出は人間が作る、射出は装置、金型が作る。と、いくら口を酸っぱくしていっても、射出しか頭にない経営者の押出に対する評価は低かった。若いころ、サラリーマンのころからそれは強く感じた。インドネシアへ来て、射出は掃いて捨てるほどあるが、押出を出来るのは私一人だけなのに、うまく使うことができないどころか、成功を妨害するためのイジメが直ぐに始まった。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの開店案内はこちらから。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%203.html
インドネシアの主な島には全部行っています。旅行記はこちらからです。それでも、行きつくしてしまったと感じることはない。来週は、パレンバンへ行くことになっています。

PT.NANBUの押出部門の新戦力となる、押出成形ラインの何台かです。工場が出来上がるのを待っています。

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