(^_-)-☆ビザの収得し直し [情報]

IMG_9045.JPGIMG_9045-.JPG いよいよ途切れたか、何か事件があったのか。今、シンガポールから戻ってきた。
日本のこんな実態の中で、もうしばらくしたら、仕事をすることを予定している。程度が低い集団の中で、仕事をする辛さは、インドネシアの某社で経験している。低い程度で、皆さん、意見が一致している。仕事のやり方を指導しても、そのようにはできない、それが、揃って、出来ないのですから、自分がやって見せなければならない。しかし、見ないどころか、私がやろうとすることすら邪魔をする、やらせない。集団で、地位的に自分たちに任せられているのだから、余計なことはするなと、いう、気持ち、態度で一致してしまう。その壁を破るのは非常に困難です。また、イジメを食らう可能性もある。
ということだが、日本ベースで仕事をするが、インドネシアの工場へいつでも来て指導や相談に乗れるように席をインドネシアにも置いておくことにした。そのことについてはこちらの責任者が賛同してくれているが、余計なものがいる場合は私の方からキャンセルすることになる。そのことは、先日、出張できた日本の責任者に言っておいた。

そこでまた、シンガポールへ行ってきた。仕事ビザの書き換えである。肩書きがダイレクターからアドバイザーになった。03:00に家を出て、戻ったのが24:00を回っていた。会社は変わらないが、ポジションが変わるからです。肩書きが変わる場合は、インドネシア国内で更新することはできず、一旦、ビザを消滅させて、国外にでて新たにビザを収得しなければならないのです。給料は税抜きで5ジュタ、その他の補助は一切なしです。非常勤です。他に会社も、報酬はボランティア程度で二社ほど手伝うので、自由が必要だからです。しかし、この状態をいつまでもということではなくて、6月頃には日本ベースとするつもりでいる。インドネシアの押出については、その後も、何年でも、必要に応じてテコ入れに来るし、客先から要望があれば来ることになるでしょう。死ぬまで、インドネシアと押出のことは、係わりを持つことになります。
インドネシア人の教え子たちとインドネシアの客先に責任があるからです。

シンガポールは約一年ぶりでした。なにも変わっていない。今回はたまたま、春節月の末日だったので、ビザを待つ間に、中国人街へ行ってみた。その一角のいくつかのお寺で、日本で言う初詣のような状態になっていた。すごい人出で、押すな押すなの大賑わい。皆さん、長い太い線香に火をつけて、頭の上にかざしながら、お寺参りの梯子をしている。お寺では、入場制限をしていて、既に入ってお参りをしている人、右入口の右側と左側で待っている人、一方通行になっているようで、お参りが終わった人々は裏へぬけて、殆どいなくなると右か左に待っていた人がどっと入って行く。その周りの店も大賑わいだ、露店の店も大賑わい。本当に日本の初詣と同じようで、ガマの油売りまでいる。懐かしい気がした。こういう風景はこの時だけなのでしょうか。日本のような広い境内があるわけではないので、その混雑は異常に近い。宗教の凄さを見た感じである。これまでしなくてもと思う。
カンボディアの赤に近いピンク。思いがけなくオーチャドストリートの骨董土産物屋の店頭で出会った、大きい、ヨギ(オランマル)。どういう、曰くがあるのでしょうか。バリ独特の木彫り像と思っていたが、間違いかもしれない。シンガポールのど真ん中に鎮座している、バリで買った物の10倍ほどの大きさだと思う。
 
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