(^_-)-☆インドネシアナウ [状況]

 残り三日、相当疲れてきている。それも、ドライバーをして、皆さんを送り迎えしているので、なお大変。朝、家を出たら、リッポリカランへ向かい、クラウンコートとチトラインで一人ずつ乗せ、MM2100のアパートで一人載せて、ジャバベカゴルフへ向かう。帰りは、リッポチカランのルコタムリンの日本食レストランへ送り、食後、クラウンコートとチトラインへ送り、MM2100へ送り返し、会社へ出て、二三時間仕事をしてから、チカランの自宅へ戻る。朝、04:40位に家を出て、戻るのが、17:30頃になる。それから、文章を書いたり、写真の編集をしたりする。また、日本とメールで会話したりする。休日の連続ですが、休日をのんびり過ごすということとは正反対な生活をしている。

 9月に入った。インドネシアも半月過ぎた。後半は日本で使うおもちゃの完成の手伝いをするとともに、輸出前のOKを出せればいいと思っている。押出部門は、私が撒いた種が徐々に実のりだし、中古で入れた装置のほとんど全部が稼働する状態になりそうだ。設備を増やさなければ、新しい、注文に対応ができ無きなる。年内には最低、二ラインの増強を画策する。一銭も投資を増やせない状況も分かるので、それでも、増強できるような手段を考えている。

インドネシア全体で何人の人が恩赦、特赦で刑務所から解放されたことでしょうか。あまり、大きく報道されていないが、ジャワ島だけでも一万人以上という、全体では、その倍以上でしょう。汚職、贈収賄、麻薬常習者など一般的には刑期の半分が終了した人は釈放されるとか。結局、刑務所の経営上も問題で、飽和状態を毎年、この時期に解消するのです。以前、スハルトの次男のトミーがヌサカンバンガンへ汚職蓄財の罪で、10年以上の懲役になったが、5年足らずで、刑務所から解放されている。
逮捕当時、大騒ぎをして、刑期も確定した大物経営者や政治家、芸能人が、目立った報道も無く、いつの間にか、釈放されているという例は沢山ある。

テレビで報道されていた話だが、スンバコと言って9種の生活基本食品や洗剤など、一般的にどの家庭でも、使われるものを、金持ちが貧乏人に与えるという習慣については、既に書いた。その時に怪我人どころか死者まで出る大騒ぎになることも、毎年繰り返されている。そこで、面白い話、その、スンバコを受け取り代行会社が出現したとか。電話一本で、スンバコばら撒き場所へ行って、受け取って、届けてくれる。幾らかの謝礼を払う。結局、只で貰うのではなく、危険や困難を避けて、ちょっと、お金を払って買う。ということです。代行会社、儲かるのでしょうか。
IMG_1504.JPGIMG_1499.JPGゴルフ場
 
タグ:代行 仕掛 恩赦
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