(^_-)-☆エゴ人には良薬なし [変!]

送り迎えは、終わった。9連休のうち、ゴルフは8日間、無事にプレーし続けることができた。大願成就のための苦行のようなものでした。04:00起きで、迎えに行き、帰りも、疲れているのに送った。流石に疲れた。筋肉痛も、しばらく、治らないだろう。まだまだ、元気に頑張れるということを確認しただけである。
 今回の送迎で、多くの時間と体力を使った。それは、自分から望んでやったことで、その人達に感謝してもらおうとも、恩を売るという意識も無い。自然に、やっていた事でした。こういう時、私が待つことが多いが、今回の人達は、待つことは無かった。約束の時間に約束の場所へ到着した時に、既に、その場所に来ていてくれた。私は待たせないために、約束よりすくなくとも、5分は早く到着していた。しかし、私が待つことは無かった。皆さんは、10分くらい早く、その場所に来ていてくれたのです。その人達の日本の自宅住所が、これが、不思議、静岡の柳町と服織?(ハトリ)、私の小学生時代の勢力範囲なのです。びっくりした。
ま、以上のことは、それでいいのですが、ちょっと古い話で、キタガワを手伝っていたとき、日本人の若者の技術指導をしていた。その若者、技術的な成長は平均より早かったのですが、自分は間違いをしないという自信が強すぎ、他人に、自分の主張を強く押し付ける傾向があった。日本人の集団の中で、競争相手や難しい上司がいない世界で、もまれることは無いので、我儘がドンドン、激しくなった。インドネシア人にドンドンきつく当たるようにあったし、客先や仕入れ先の日本人とも、もめることが多くなってきた。これは、この若者の将来にとって、このまま、インドネシアに居続けさせることはよくないと判断し、日本へ帰るように自分で希望を出すようにアドバイスした。それが、彼の怒りを買ってしまった。口には出さないが、その後、何かと、私の存在が胡散臭くなったのでしょう。私が何かを一緒にやろうと提案しても、拒否するようになった。

彼が技術も様々な知識も何もなかった時から三年間、ほとんど、無償で彼と一緒に行動し、私生活の補助もした。ゴルフやちょっとした旅や日本ではめったにできない大会社の工場見学など、彼が希望する場所に案内した。その間中、私が運転手も兼ねて、彼が待っている場所へ迎えに行き、送り届けもした。数など数え切れない。彼のために、必ず彼が待っているだろう場所に10分前には行っていた。待たせては悪いと思って、遅れるときには必ず電話をしていた。
ところが、彼は、先に書いたように、時間前にその場所にいてまっていることは無かった。必ず私がそこで待たされた。それも、なかなか来ないので、こちらから電話をすると、今行きますから、という、何分後とは言わない。それから、また暫く待つ、出てきて、お待たせしましたとか、御免なさいという、言葉はない、ただ、こんにちはとか、お早うという挨拶だけである。全く、私の気持ちを考えていない。只、自分のことを考えて行動する人間だ、と、評価するようになった。
彼のために、幾ら、時間とお金を使ったか、想像できないほどである。それでも、彼は私に対して、他の人間に行っているのと同じように、何か不満をもっていて、私には言いにくいので云わないで、他人に行っているなと、感じるようになった。人間はそういうものです。他人のことを、ああだ、こうだと、本人以外に言う人は、必ず、その言った人間に関しても、その他の人に悪口を言っているものです。

これを、前提にして、彼がインドネシアから日本へ引き揚げる数日前、従業員とともに送別会をやってやろうということになり、私が、彼を会場まで送ることになっていた。いつまで、経っても、彼は出てこない、そこで、人を待たせるなよ、失礼でしょ、電話で云ってやった。彼は、私が思ってもいないことで云い返した。「太田さんだって、私の家に食事を招待した時、来ないから電話したら、『御免、忘れてしまって、寝てしまった』と、云っていたでしょ、その言い方が、本当に謝っているという方ではなく、簡単に謝っていただけでしょ」と言われてしまった。私には心当たりが無い。いつのこと?「三年前だ、忘れたの?」と言われてしまった。謝り方が気に入らなかったというのです。全然覚えていない、本当だとしても、そんな深い恨みを持っているとは知らずに、その後でも、私は、彼をアチコチへ連れて行ったし、色々なことで、お金も私が出していた。技術も教えつづけた。彼は、私から大きな恩恵を受けているはずが、その間、ずーっと、そのことで私を悪く評価していないのです。そして、送別会の日に、私が、待っていることを知っていて、わざと、出てくるのを遅くして、私に仕返しをしたのです。

その何年間に何時間彼に待たされたか分からないのに、それを、恨み等とは全く、思っていないで、待ち続けたのに、最期の送別会まで、待ったのに、彼は私を恨んだのです。

小学校の時から、ずっと、私は多くの人を待ち続けた、遠足や修学旅行やその他の催しがあれば、私が旗をもって集合するたびにその場所へ早く行って、待っていた。何かと幹事をやること多くて、準備をし、皆さんを待つことが多かった。会社の経営でも、私が先頭になって引っ張っていたので、従業員を何かと、待った。技術指導においても、手本を見せて、やらせて、覚えてもらうのを待った。待たせるということ決してしなかったと意識していた。待たせることは記憶のある限り、しなかったし、待たせそうな時には必ず前もって連絡するようにしていた。それを感謝しろとは思ったことはないし、見返りを求めたことも無い。ただ、私はそういうことができる自分に自己満足しているのです。

私としては、かなりのショックでした。記憶にないことなので、なお、ショックでした。今でも、彼の妄想ではなかったのかと思っている。
多くのことを私から学び、多くの場所を訪問して見聞を広げたはずの彼が、私に“イタチの最後っ屁”のようなことをして、去って行ったのです。彼との数年間はいったいなんだったのしょうか。
その後は、エゴが平均以上だと感じた人には手伝いをすることはしなくなったと共に、エゴの人には、人間を改造するように勧めている。他人の手伝いができるような人になってほしいとアドバイスをしている。しかし、手伝いができるようになった人はいない。
こういう彼も、今、40才を超えているはず、今どこで、何をしているか知らないが、こういう人は、奥さんや子供と上手くいっていないはずです。奥さんや子供が可哀そうです。会社の同僚とも上手くいかないし、後輩連中からも、敬遠されたでしょう。最悪の場合、会社も止めてしまっていて、奥さんは子供を連れて、実家に帰ってしまっているはずです。当たっていないと良いですね。多分、当たっているでしょう。

こういう人は彼だけでなく、世界中に大勢いる。
IMG_1511.JPGIMG_1512.JPGランの一種とキノコの一種
  
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