(^_-)-☆ほっとした [人生]

 1428 121212の日 久しぶりにお元気そうなお顔を拝見してホッとしました。凛とした腹の底から響くような声も衰えていなかった。愛知県の稲沢へ行ってきた。ある、私にとっては重要の方にお会いするためでした。何年ぶりでしょうか、多分、6年ぶりくらいだと思う。私が若い時、26歳の時、社長がまだ40歳前でした。初めてのご対面でした。それから、40何年以上のお付き合いです。現在は息子さんに社長と代表権を譲ったとはいえ、まだまだ、会長として、毎日、会社に出て来客の対応をしながら、社長をサポートしている。82歳である。とにかく、一代で今の会社の状態を作り上げ、社会的貢献を尽くしている。その基礎的、初期的時期に大きなお手伝いが出来たという誇りを持たせていただいた。
IMG_1250.JPGIMG_1250-.JPGIMG_1250^.JPG
私が押出の技術者として生きてゆくと決心する機会を与えてくれた人、私が独立してから、間もなく、私に注文を出してくれた人、私が社長を止めて、海外で技術指導をしたいと、多くの関係者に話をしていた時に、インドネシアに押出工場を作ってみないか、と、声をかけていただき、今もインドネシアで技術指導したり、輸入製品のインドネシア国内からの調達のお手伝いをしている、その機会を作ってくれた人。私の人生の転機で深く係わり、頼りにした人です。常に目を掛けてくれたと思っている人です。
http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0201.html
会長にとっては、私は多くの人達の中の一人に過ぎないかもしれないが、私にとっては
常に意識をする方でした。今でも、そうです。
 だから、今回、ぜひ、お会いして、私の気持ちを伝えようと社長にお願いして設定をしていただいたのでした。本当にお会いできてよかったと思う。前日、日本で感激すること、うれしいことは殆どないと書いたが、今日という121212の日は、久しぶりにお元気な姿を拝見し、一時間以上に渡って、御話しできたことは、感激の一言です。稲沢へ行って良かった。一年後には元の本社に新本社ビルが完成するそうです。その頃に、また、来てくれよ、と、言われた、必ず、御伺いしますと約束した。

 13時のアポだった。12時ごろ会社の周辺に到着していた、食事をして時間の長以西をした。5分前に会社の玄関に到着した。13時丁度に、応接に通された、会長は既にその応接室で私が到着するのを待っていてくれたのです。その姿を横から見ながら、部屋に入りながら、遅れて、待たせることに、ならなくて良かったと思っていた。「太田君、時間ぴったりだね」と言われた。流石だなと、思った。

 別れ際にご一緒に写真を取ってもらった。その他大勢との記念写真のようなものは、何度も機会はあったが、二人だけで、写真に収まるのは初めてだった。これも、良かったと思う。

 帰りの東名で運転をしながら、インドネシアから何度も電話が入った。パーキングエリアに駐車して、それらの電話に返事をした。今も、こうして、インドネシアの多くの人が私を頼ってくれる、一応元気に生きて行けているのは、会長のおかげだという事を意識しながら。
 今日は一日、素晴らしい日だった。本当にお会いして良かったと思う。
   

タグ:恩人 感謝 尊敬
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0