(^_-)-☆私を作れない [能力]

 1986 私は、反面教師から教えてもらった以外は、誰かから、何かを教えてもらった事はない。技術的なことは、入った会社の設備やそれを使っている作業者を見て、上手くできていないな、私なら、この設備、この金型を使って、先輩たちより、品質がいいものを、収率も上げて、作ることができると思った。実際、半年後には、社内で私の腕が一番だと自分では思った。それ以降は、装置の改善や新しい製造方法を考えて、従来からの製品も、新しい製品も社内的にも客先にも納得してもらえる製品を作ってきた。できるかできないか、迷うものはできると言ってしまうことにした。ただし、設備投資が必要なものは、これがあればできると提案するので、OKが出なければ、前に進まない。だから、できると言っても、客先や上司がOKしないものはできないのは当たり前。

そこで、新しい製品を作り出すことができる会社には、私のような人がいるはずだと思う。或いは、開発する人やグループがあるのだと思う。会社として、こういうものができれば、儲かるだろう、売れるだろうと思って、テーマを与えているのだと思う。大金と時間を掛けている場合もある。

只、私の場合は、そういう大袈裟なことではなく、大体、既にこの世のどこかで作っているものを、客先が身近から買いたいとう希望をかなえてやろうということです。今まで、手掛けたことがない製品もあるし、やっとことがる物に似たような製品もある。納期は長くて二か月、金型も高くて30万円くらい、そんな条件で何とか作ってしまうのです。何どこ書いているが、そういう人はインドネシアには他にいません。

ということは、私が多くのインドネシア人に技術を伝えてきましたが、私のようなことができる人を育てることはできませんでした。日本の会社でも同じことでした。それぞれに与えられた技術を使った製品しかできないのです。その製品だけで客先が頑張っているので、それと共に成長している会社もあるが、新しい仕事は取れていない子が現状です。

残念ながら、私がいなくなった会社は、新しい、別の技術を使うと思われる製品は断るしかないのです。全てですから、私の若いころに似た人が入らない限り、今の会社も同じです。

私は誰かに育ててもらっていない、私も、誰かを、私のようになるように育てることできない。例外的に、私に似たような行動を取るインドネシア人が一人いる。その人は、20年ほど前に、日本でアルバイトに来て、初めてやってもらう仕事に積極的に取り組んでいた。そして、すぐに、もっとうまくできるようにするには、どうしたらいいかを、私に提案してきた。そういう、人だったのです。彼なら、今、私が引き受けようとする仕事もできるはずだ。私の競争相手になれる。そして、今、一緒にいる若者、私の若いころに良く似ている。勘がいい、熱心、私が頼んだ事、以上の事をする。
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ついに出た50ジュタ(約45万円)の賞金、ニュー ファミリー スラトゥス、“クイズ百人に聞きました“勝った方が5問の問に答える、それぞれの一番多かった答えと全部一致すれば、50ジュタ貰える。黄色のマークがトップの答えだということを表している。
 
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