困ったことになっている [手伝い]

IMG_0044.JPGIMG_0018.JPG故郷で身内関連の催しがあるト言って、ブリタールへ帰って行った。15日まで、私一人の生活になる。気楽と言えば気楽だが、やはり、不安である。だからと言って、早く帰ってこいとは言えない。
年間カレンダーがやっと、決められた。その意味を誰も知らなかったというのが驚きである。また、チュティブルサマといっても、全員が何のこと?と思っているのも驚きだった。私より長い間インドネシアで仕事をしている人も、知らなかった。どういう人?
年休の買い取り制度がどうして、従業員への有利になるのでしょうか、会社にとって不利と、どうして言えるのでしょうか。他の会社に買い取り制度が無いというのも、信じられない。私がいた二社にはあった。その方が会社にとって有利だという考え方からです。
これらを含めて、私の考えと、他の日本人の考え方が違うようだし、インドネシア関連の知識にも大きな開きがあり、知らないので、私の考えを理解してもらうことは、難しいというより、出来ない。私の考えを採用するということは、理解できないが、私がそこまで言うなら、そうしましょうという程度のものである。
トイレも治したという、十分使えるという。私から見ても、インドネシア人から見ても、どこをどう直したの?と首を傾げるしかない。そのことを二回指摘したら、やっと、確認しに行った。そして、専門業者に頼むしかないと言っていた。当り前の話である。専門業者ではない、だれに頼んでどう直してもらったのでしょうか、そして、その結果を見ないで、もう治っているので、使えるようになっていると、全員に説明した。私は、其の時に、既に、なお使える状態になっていないというより、まだ、ひどい状態だと言うことを知っていた。

もう一つ、大きく困ったことは、インドネシア人から嫌われ、敬遠されていることである。当然だと思う。インドネシア人は相手にしたくないと思っているが、本人がそれを怒る。だから、話が通じなくても、話をしたりお願いしたりするしかない。そして、なお重要なことは、このような、事を私が書いても、絶対読むことができないのです。インターネットで検索して調べるということをしたことが無いし、手段を知らないし、思いもつかないのです。パソコンの知識もない。本当は、本人に読んでもらって反発してもらいたいが、読めないでしょう。
仕事を始めて丸四カ月過ぎた、私が初めて紹介されて3カ月半過ぎた。初めて会った時、三月一日から押出のメンバーが従業員になる。それまでに会社規則を作っておいてください、改正をいつでもできるので、どこかの会社の規則をそのままもってきて、この会社に則するように一部帰るだけでいいから一週間もあればできますね。ト言っておいたが、現在、それから、3カ月半過ぎたが、未だに、案もできていない。どうするつもりでいるのでしょうか。



落ち着いた日 [手伝い]

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元気に会社へいったはいいが、下痢の状態が改善されておらず、大変、難しい状態になっている。それでも、朝から、ミーティングや会社訪問が続いて、多忙な、一日でした。商売につながるような話はあるのだが、いずれも、価格が問題で、可能性が低いことが分かった。多分、客先は、現在の製造会社に対する値下げ圧力の材料に使うに違いない。そんなことは百も承知で、安い値段をぶっつけようと思う。どこの会社も、目標価格は原料費の1.2倍くらいの価格である。とんでもなく安い価格でまともに相手をしていられない。そっちがそっちならこっちもこっちである。
 
 新製品の金型の発注をした。確実にできる方法で進めることにする。余計な苦労をしたくないから、斬新的で実験的な方法は避けた。これが、10日位で完成したら、改めて、生産速度や寸法公差の改善を考えようと思う。

 今週は私の担当以外の部署での来客が多いようで、日本からも、インドネシアのちょっと離れた場所からも来るそうで、多いときに9人一遍に来るそうで、迎える側は大変だと思う。印象を良くするために、あちこちの手入れや、整備を進めているが、何せ、かなり、手入れの悪い環境のまま、引き継がれてしまっているので、ちっとやそっとではつくろいきれない。整備が若干進んだ場所を遠くから見てもらうしかない。引率する人は、そういう処に気を使う必要がある。なかなか大変だと思う。

 来週もVIPの訪問を受けることになる。会社の名前は変わっていることを願う。私の存在は控えめに、そして、尋ねられれば、速やかに正確な情報を提供する準備はある。

今でも盛んに行われている地曳網、日本であるようなショー見世物ではありません。
パパンダヤン(バントゥンの南の山、エーデルライズの一種が群生している、温泉保養地も近くにある)
遅延、他人事、安価勝負

落ち着かない日々 [手伝い]

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今週は、客先になっていただきたい会社への訪問スケジュールで一杯です。また、P社向けの新規アイテムの金型が受け入れが始まります。また、若干大型の製品ができるように断面が大きい水槽も出来上がってくる。それらを使った試作が始まります。
 また、今週の後半から、客先になっていただくよう、ご案内した会社からの当社への訪問、受け入れも始まります。まだ、ISOは取ってありませんが、トーレーニングは始まります。
 直ぐ、背中合わせのPT.Aさんを訪問、5年間お付き合いをさせていただいたM氏は今週いっぱいで任務を終了し帰国するそうで、調度、タイミングが良かった。後任のF氏とお話しさせてもらうことができた。

 午後は、直ぐ近くのPT.Hさんを訪問した。この会社の社長さんのMさん(スポーツマン風で好印象でした)の車にゴルフ場の駐車場で、私の車を接触させてしまった。それ以後,電話で様子をうかがっただけで、保険で直してしまたから、心配ご無用と言われ、それきりになり、お邪魔する機会もなく、失礼しっぱなしだった。PT.NANBUがオープンした時を機会にご挨拶にお伺いしようと思っていた。そして、今日がその時でした。バリのキンタマニへ北上する道(ファットマワティ通り)沿いの彫刻の店で、購入してあった。オランマル(恥ずかしい人)を持って行った。言い訳にふさわしいと考えたからです。
 H社の別工場の方で、私が関係しそうな仕事がありそうなので、お手伝いできるかどうか、そちらの方へ訪問するようにアドバイスを受けた。

Bekasi Baratの高速道路から出た処、左側にあるメロロポリタンマール(MM)とホテルホリゾンです。日本人も大勢泊っています。日本食レストランもあります。写真は高速側からと入り口側(高速と反対側)からです。1996年にこのあたりにはこの建物しか目立つものはなかった。

http://4travel.jp/traveler/enplaind/
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage%20top%203.html 旅行記
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0001.html  写真集
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
援助している会社、仕事が始まった会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。3月1日、PT.NANBUから押出製品の出荷が始まりました。新たに5ラインが入って10ラインになりました。10日にもう二ライン入ります。
射出はオリエンタルキョーワから購入した成形機を点検整備中です。今月いっぱいかかりそうです。

スタートダッシュ [手伝い]

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 マラソンでも100m競争でもスタートは重要である。スタートで遅れた人が最後に勝利する確率は非常に少ない。勝つ人は必ず先頭集団にいます。起業において幕引きやラストスパートはない。ただ、レースを続けるのみです。それも、常に先頭いることが心地いい。それが、スタートはゆっくりすればいい、徐々に加速して行けば先頭に立てる、という考えがあるとすれば、それは、間違いです。そうは考えていないでしょうが、スタートダッシュができないでいる。
 ここの、仕事については先手必勝です。私の仕事の仕方として、“後の先“という方法もありますが、これは、あくまでも、その方法を取る人は、勝てる手段として、経過を想定できる人で、意識的に後手を選ぶのです。私は、卓球のサービスを先にするか、後でするかを選ぶジャンケンで勝っても”レシーブ“と言って、相手に、先にサービスをさせました。相手が勝ってレシーブとい事は稀なので、ほとんどの試合、レシーブから始まって、相手は、サ―ビスを先にできて、満足している。思う壺だと、私は思っていた。何故そうしたか、私のもくろみを分かる人はそういなかった。今のルールは知らない。
ユニフォームも安全靴を含む仕事用の靴も発注した。靴は明日と届けられるそうだ。もう、作業に入っているが安全靴を使っていないで作業させている状態は危険で、私としては大変心配、安全靴を配布するまで、何事も起こらなければ良いがと思い。しかし、安全靴は与える必要はないと言って、なかなか、普通の靴も手配しないので、私が払って、与えるという手を使った。いつになるか分からない決定を待っていられない。
今月の16日のヌピの休みを15日と振り替えることにした。月曜日一日だけ出るなどという事を不合理と考えない物がある。動きだしているのに、未だに動かない物があるが、それは、そのままにしておく。これらのことは、一か月以上前からお願いしてあったことだった。就業規則もまだ示されていない。永久にこれでなければなないというものではないのだから、一日二日でできてしまうと思うのだが、いつになるのかもわからない。作る気が無いと思うしかない。
私は、PT,KITAGAWAの労働協約が良いと思っているので、PT,MAKUTAでは同じにしていた。一秒もかからない。PT.NANBUでも、通常勤務は一日7時間で、土曜日5時間一週間40時間でやっているが、三交代勤務の時間が示せれない。そこで、KITAGAWA、MAKUTAと同じにしている。ところが、不思議なことに今は土曜日を休みにしてしまっている。週35時間になっている。いいのでしょうか。仕事はいっぱいあるのだから、それなら、一日8時間にすればいいと思うのだが理解できない。
 マリアさんの誕生日、彼女は26歳になった。早く子供ができるといいが、今回はどうだろうか、話題にしない。私は便利に使っているが、旦那のアリ君の心境はいかに。私がインドネシア常駐のあと二年の間に、出来れば、こちらに2人で住めるようにしてやりたい。そうすれば、私がインドネシアへ来た時に泊めてもらうことができる。

 パームヤシと実、スマトラ島にプランテーションが広がっている。
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援助する会社、始まる会社PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの仮ウェブサイトです。先ほどPT.NANBUからの出荷が始まりました。新たに5ラインが入って10ラインになりました。10日にもう二ライン入ります。射出はオリエンタルから購入した成形機を点検整備中です。今月いっぱいかかりそうです。



目的の一部 [手伝い]

IMG_2617.JPG 
 インドネシアの色々な技術を育てようと思って、押出成形技術と金型製作の指導をしてきたが、ここ、二年余りは、装置の製造、押出機、バキュームボックス付きの冷却水槽、引取機、ナイフカッター、丸のこカッター、リバース付き引っ張り力自動調整の巻取機のインドネシア国産化の指導をしてきた。まだ、100%満足に機械とは言えませんが、それらを買い上げ、次の改良機を注文しています。現在まだ、増設中ですから、どんどん注文して、其のたびに使い安くなっていくし、故障も少なくなっている。もう少し、改良が進んだら、インドネシア国産機として、売り出そうと思っている。
 そして、間もなく、原料製造(ペレット製造)に指導もスタートする。そのきっかけのために、既に、原料(コンパウンド)つくりをしている会社を訪問し、経営者の人柄をチェックしようと思う。今日も午前中に二社訪問した。
 分かりにくい場所で、はっきりいって、環境は汚い。しかし、それがインドネシアローカル企業のスタートです。そういうところが成長するように手伝いたいのです。
 まだ、明らかにできないが、私には、相当大量に原料を使う予定がある。そのためにも、育てることが、私が面倒をみる会社のインドネシア人に対しても利益になるのです。

 透明HIPSは非常に特殊で、以前、透明半硬質PVCを使っていた製品で、PVCが嫌われて、他の樹脂を探していた時期があって、客先からは、良い原料が無いかと良く聞かれていた。私は透明HIPSが、成形性がいいので、勧めて、製品を提供した。しかし、それらの製品は今A社でやってしまっている。私が、これらの製品を取り戻そうとすると、A社が、今の高価な原料を使っていては、赤字になるくらいの価格を客先に出さなければならない。彼らが知らない、知っても、成形が難しくて、出来ない、そしてより安い原料を使って、品質、物性とも、より優れた製品を提案することになる。こういう手段をとる客先は四社ある。

 もう一つ 重要なプロジェクトが動き出そうとしている。そのためにも必要なことである。
今日の一番傑作な事故(不謹慎?)この事故によってMM2100は入る車ストップしてしまい、東西から来た車が本線を塞いでしまい、のぼりも下りも何十キロメートルに渡る大渋滞になり、東西100kmにある工場や会社に大きな影響を与えたし、多分、病院へ行けずに亡くなった人も多かったのではないかと想像する。
NTTと電話回線や光ケーブルについて押出エリアに関してお願いをした。
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PT.NANBU PLASTICS INDONESIAの開店案内はこちらから。MM2100内の場所の地図を加えました。

報酬とは [手伝い]

IMG_2560.JPG 強力な日本人の応援者をお願いして、かなえられることになった。三月からお願いすることになると思うが、押出部門の前面に出ていただいて、牽引していただくように私がバックアップすることになるでしょう。私は目立たない方がいい。

 今度の新しい会社でも私の給料は殆どゼロに近い、しかし、各種届け出費や各種保険やガソリン代、HPの電話代は会社負担としてもらうことになっている。それだけでも月にならせば4万円くらいになるので、所得税を入れれば私にかかる費用は10万円くらいになるでしょう。これでは、当然、不足です。自腹を使うことになります。というか、10万円くらいで十分なのです。他の人は、私を例にはできない。一般的に日本の会社から出向として来ている単身日本人一人で100万円、奥さんや子供さんも一緒なら150万円くらいが常識です。公務員はその1,5倍でしょう。
 私がそれで十分というと一般人は奇異に思う、全く、理解できないのです。それはそうです。しかし、私はそれでいいのです。基本的には、創業者の意識です。自己資金で投資をしなければならないし、基盤が確立するまで、自分が受け取る給料はありません。会社が軌道に乗り有る程度の利益が出るようになったら、その利益の一部を報酬としていただくというのが筋だと確信するからです。
 30歳で自分の会社を作った時も一年半は報酬を受けていなかった。利益は始めから上がっていたが、新しい設備の購入で使ってしまった。初期投資も私だが、その後も、投資に回した。私の会社は自手形で支払いすることはなかった。廻しはした。手形帳を銀行からもうことはない、優良企業として通した。

 報酬はいくらかを、先に、論ずることは、私としては論外です。しかし、一般の人は日本人、インドネシア人にかかわらず、仕事ができるかできないか、会社の業績がどうかというより、給料が幾らかが優先です。それは、それでいいのです。私と一般の人と違うからです。
 これが“後の先”です。
 中小の会社のサラリーマン経営者で、自分の懐へお金を入れることが優先の人は、経営者の資格がないと思うが、そういう経営者が多いこと!!!。

 お客様の要望で、準備中のプロジェクトが数多くありますが、未発表です。あそこの仕事も、そこの仕事も、やれなければなりません。始まる前から、期待されているようです。
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PT.MAKUTAの従業員と食事会をした。チビトゥンのインターチェンジ近くのインドネシアレストランだったが、日本人の若者二人も招待した。何カ月か後に皆さん一緒に仕事をするようになるでしょう。

いつもより多く回していますではなく、いつもより多く噴出しています。修復後最大量です。

つぶやき [手伝い]

IMG_2246.JPGドイツから日本へのお客さんはドイツへ戻った。いつまたみんながどこで、集合できるのでしょうか、今は、予定はないが,こんどは私と妻がドイツへ行く番である。
 独り言をある方に送った。十年以上に渡って、お世話になってきた方です。その間も、現在も私は決定や交渉権限をまたない場にいますが、絶大の信頼を置いている方です。今までも、いろいろ、お願をしました。その都度、それらのことに、前向きに対応していただき、是々非々で応えていただきました。かなりの逆風のなか、一筋の追い風を感じていただいた方です。
 今回は、提案でも、お願いでも、アドバイスでも有りません。単なる一方的な呟き言です。返事をお願いするものでも有りません。
 これも、一年後くらいに公表します。

 私が呟きや愚痴を言うことは殆どないし、独り言を聞いてもらう人もほとんどいません。必要としたこともありません。そして、弱音を吐くことは、全くありません。他人に手助けをお願いするときは、ギブアンドゥテイクのギブが多い状態で、手伝ってもらいます。従業員や客先がその典型です。私が、誰かから、ギブアンドゥテイクでテイクがちょっと多いかなと思うことはありません。妻からだけが例外です。

 押出エリアの工事のゴーが出た。明日から、工事が始まる。やっと、スケジュールができるようになった。安堵。ホッ。
 
 どこかで、既に書きましたが、メガネを外した私です。左目の脇に切り傷がはっきり見えます。ちょっと外れれば丹下左善(知らない人の方が多いと思う)なってしまうところでした。
この写真を撮った孫(下の子)の年と同じ三歳のとき、63年前の傷です。父が私をおぶって、富士川の土手を走って病院へ向かったことを、鮮明に覚えている。

後の先 [手伝い]

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今年、初めてのゴルフでした。いつものメンバーで楽しませてもらいましたが、その一人が、今月末ごろにはベトナムへ転勤になってしまうということを知らされ、大変残念に思う。
昨日に続いて、今日も、より重要な提案をした。相手にされるか無視されるかわかりませんが、この内容は一年後くらいに、一般公開することになると思う。その時、この提案が、有効に機能したかどうかがはっきりしているはずです。インドネシアの私が手掛けている業界での大きなターニングポイントになるはずです。提案を受けた方々は、地下で、周囲に知られないで、検討をしていただきたいと思います。明らかになってしまうと、厄介な
取り返しがつかない状態になってしまうでしょう。私自身にはどうでもいいことですが。
 
年末から、PT.MAKUTAは大変忙しくなっている。キタガワやアフミ当時より、1.5倍の速度で生産しているが、休日出勤をしなければ納期遅れになる可能性があるほどの受注量である。まだ、使えない状態の装置を早く使いたい。ただただ、早く早くとお願いするしかないが、お願いされた方は、それほど、急いでくれているように見えない。
 
 “後の先”(ごのせん)の意味が分かる人は少ないと思う。相撲の取り組み、立ち合いで使われます。相手に先手を取らせておいて、先制攻撃をさせ、そのつもりにさせて、実は作戦で、逆にこちらが巻き返すという高級手段です。

タグ:親切 予告 提案

プライド [手伝い]

05-08-1511.jpgカリムンジャワのクラクラアイランドのコテージ
数年しか使っていないので、見るからにまだ新しい。バイクや車の外装部品(プラスチックが主)の塗装、乾燥設備の大掛かりなものが売りに出ている。売れなければ、大部分は破壊して鉄屑価格で売ってしまう運命にある。もったいないこと、この上なし。だから、今、または、間もなく、その設備をしようと考えている会社や人がいれば、活かせる手を相談したいと思っています。
城砦のようなラックが建物全体(900平方メートル)、5階建て一杯大がかりなジャングルジムに鉄板の床が敷いてある、原料や製品の倉庫である。そのラックも鉄くずで売るにはもったいなさすぎる。
買ってもらうのは私の技術です。腕です。
 これとは別の話で、もうひとつ、懸念するのは、私が考え私が作った装置で、今までインドネシアではできなかったいくつもの製品をできるようにし、それを作る技術者を育てた。そして、日本から輸入していた会社が現地調達できるようにした。その装置を売るのにこちらから出す見積もりが妥当かどうか第三者の専門家に評価してもらうらしい。
 何気なく、事務的必要から、口にしたと思うが、どこの誰がこれらのことを私以上に分かっていて、価格が、幾らが妥当か断言できるのでしょうか。以前にも書いているが、その会社のその部門のトップの人が私に技術のことを聞いてくるくらいですから、其の会社には評価できる人はいない。日本のどこにいるのでしょうか。

 こちらから、提出する見積もりは、自分なりにかなり低価格で見積もりをだす。目的はやはり、手伝いですから、私が、投資して買った本体部分や付属部品、改造費など実質費用の約80%で出すつもりだ。そこに技術費用や指導料は入れない。客先紹介料も入れない。付属の金型や交換部品は無料、工具や検査器具も、無料。もし、それを、購入価格の明細を出せだの、償却がどうのこうのと云ってくるようだったら、客先紹介費や技術提供料の評価を求める。

このことに絡んで、許せない、見逃すことができないこだわりが私にはある。今後、私がインドネシアにいる間にやらなければ、自分自身納得出来ない、インドネシアから離れられないことがある。それは、来年3月から行動を始めようと思っている。

インドネシア各地方別の写真集です。
 http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage0001.html

斜めからインドネシアを眺めよう 429 [手伝い]

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Dieng高原の一角にある湖、波が立ちにくいらしくて、逆さに映る周囲の風景が美しい。http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/newpage003.html

 早いもので、車の運転免許証の期限が来てしまって、免許証を買いに行ってきた。昨年と同じ、ジャバベカのカリマラン川沿いでした。
例によって、自分ひとりで、行って来たのですが、その場所に、外国人を手伝う人が、寄生していて、インフーメーションの警察官が、彼を指名し、彼に手伝ってもらうように頼んでしまった。断るわけにもいかず、頼むことにした。必要書類のコピーをその場で、撮って、申請をしてくれた。5分くらいして、呼ばれ、指紋、サイン、写真を済ませてまた10分くらい待った。もう、免許証を手に入れた。「支払はまだだけど」といったら、事務所の奥の方に、先ほどの手伝い人がいて、聞いたら、35万Rpだというから払った。これは、そこにいる警察官に分配するのです。写真を入れましたが、一般的には日本と同じ5年有効です。価格は、書き換えで、6万Rp,新規で7万5千Rpです。外国人は1年有効で、35万Rpでした。何倍でしょうか。30倍くらいです。

 気になっているだろう方たちへ、私の工場はどうなるのでしょうか、今年の四月頃には11月には、どこか、大きな工場に移転し、装置も揃い,積極的に営業をして、お客さんの期待に答えるはずでしたが、未だに、いつ、どこへ、移転、拡張するのか、何も決まっていません。こじんまりと安定してしまっているPT.MAKUTAの現在の場所には仕事や機械を増やすスペースがありません。拡張計画が頓挫しています。私が決める状況にないし、情報も入ってこない、こちらから求めることもできないので、なお、ストレスが増します。
ただ、いつ完了するか分からないK社の立ち退きを待つだけです。2011年になる可能性もある。だから、それまで、なにも出来ない。手も足も出ない、お手上げ状態である。K社のHさん、少しは前進しているでしょうか。本社から、プレッシャーは掛っていないのでしょうか。

 目標は失っていないし、インドネシアにいる最終目的はあきらめていない。
http://space.geocities.jp/enplaindonesia/newpage004.html