(^_-)-☆パンダンダラン [旅]

 4214 6時にチバトゥインターからジャラントールへ入った。順調に車は流れていたが、カラワンバラットを過ぎたあたりから、渋滞になった、それも、時々、停止してしまうほどだ、20分後。4kmほど進んだところで、原因が分かった。路肩と左車線に二列の行列が動いていない。サービスエリアに入る車だ。私は2車線目を進むと、その車線から、一車線に割り込もうとする車が止まってしまっていた。私は中央車線に割り込んで進んだ。そして分かった。ガソリンスタンドが営業していないことが。ガソリンを入れようと、する車で,サービスエリア内の道が一杯になり、入り切れずに、本線上にも行列ができていたのでした。高速に入る前に通り過ぎたガソリンスタンドも営業していなかった。お祈りのためにと、入り口が鎖で塞がれていた。まさかと思ったが、サービスエリアのポンパベンシンもかと思った。
  20分ほどのロスで、その後は順調だった、そして、チカンペックの手前からバンドゥン方面、チプラランの高速に入った、ここから、ずっと順調だった。ただし、途中のサービスエリア、一般道に入ってからのもポンパベンシンは入れないバイクと車の大行列できていた。タシクマラヤに入ったころ、ポンパベンシンから出てくる車があるようになった。8時半過ぎだ。多分,営業が始まったばかりだったのだと思う。
 私も、そろそろ、給油をしなければならなくなった。チアムスを過ぎたところで、反対車線に、空いてそうなスタンドに会って、数分で給油できた。その後、バンジャールまで、どのスタンド。も、とにかくバイクが、道にまで行列になっていた。私はラッキーだったようだ。

 その他のことは、アンラッキーだった。先ず、いつも泊っているホテルに泊ったことが間違えた、ワイファイが使えなかった、蚊が多かった。
着いたときは、エリア内ガラガラだったが、昼寝をして、コンビニに夕方、買い物に行った。どこも、混みすぎていて、買いものができなかった。
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  カラワンバラットを過ぎ渋滞がはじまったころのサンライズ。
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  ジャラントール、北側から南に、中国高速鉄殿高架が移る工事場所、間もなく、バンドゥン側の駅になる手前、数キロの場所だ。
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 パンガンダランゲートの手前のモニュメント、青色が相当、剥げて、白っぽくなっていた。私のウェブサイトの表紙とは、かなり違う。
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 ゲート、どこから、来たのか聞かれた。チカランからと答えたら問題なく入場できた。聞いたところ、ジャワバラットだけOK、ジャカルタもそれ以外からも、入れないといわれた。
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 今までの、入れられたビルの売店では、賑やかなときにも、客は来なかった、ましてや4か月続いたロックダウン、全く、客はなかった、もう、やってゆけないと、規制を無視して、この西海岸で、店を設定したという、サーフィンインストラクターのラシッド君の考えだ、こういう店が多くなれば、また、排除されるだろうが、私は,以前の、こういう風景が好きだ。近くのトイレに水を使って洗い物をしている。
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 18時ころの西海岸、最盛期に比べれば3分の1程度だが、それでも、徐々に、人が増えてきたようだ。明日はもっと混むという。8時から、チャガールアラムに入る。
  
update corona 31 Juli 2020
https://www.youtube.com/watch?v=dxvlwX_OaiU
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1. Jumlah kasus positif bertambah 2.040 menjadi 108.376 1. 陽性症例数は2.040件増の108.376件。
2. Jumlah pasien sembuh bertambah 1.615 menjadi 65.907 2. 回復患者数は1.615人増の65.907人
3. Jumlah pasien meninggal dunia bertambah 73 menjadi 5.131, 3. 死亡患者数は73人増で、5.131人
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(^_-)-☆ブロモ [旅]

 4079 真夜中12時に出発、以前は、プロボリンゴからだったり、マランからでも北からブロモの展望台に行っていたが、今回は、ドライバーの知人の関係で、南から入った。というのは、四駆のジープのような車でなければ、国立公園内に入ることができないため、ジープを持っているガイドを頼まなければ入山できないシステムになっている。1時にその友人の車で途中から出発、3時前にブロモの南の外輪山から、急坂を降りて、パシール ラウトゥに入る。まだ、真っ暗の上に濃霧の中、10mほど先に迄しか私に見えない、凸凹、それに、雨水の溜まり、ガイドは、なれた場所とは言え、水溜りの位置や深さ、それに、川になって流れた後の位置や深さも知らない、とにかく、勘で進んでいる、他の四駆も偶に接近、追い抜いて行くが、それに就いて行けないから、矢張り、右往左往、車体の傾きがきついときは、倒れてしまう恐怖を感じだ。

恐怖の中、50分ほど、走る、南の端からブロモの東側をぐるっと回って、ブロモの北西の展望台に上がる場所まで着いてほっとする。急坂を上って、展望台のしたの道の脇に駐車する。あれ、登り口の直ぐ脇だ。4時ちょっと前、過去の2回は、ずっと下にしか駐車できなかった、2~300m道を上って、登り口に付いたが、今日は、10mほど降りる形で登り口に入った、ということは、ガラ空きだということだ。昨日の夜、聞いた話では、マランの町の観光地や遊園地、博物館など人が集まる場所は全て今日から閉鎖と聞いた。ということで、ここは閉鎖ではないが、欧米人のカップルが何組か、中華系のツアー客は見なかった。

5時にはかなり明るくなって、5時半のサンライズだった。以前は、押し合い圧し合いで場所取りが大変だったが、今日は、最前列の柵の柱にカメラを置いて動かないように撮影できた。ブロモは雲海の下に隠れてしまって、水蒸気が上がって見えているだけだった。その向こうのスメル山、時折、水蒸気が噴出していて、頂上の真上に雲はできている。雲海で、パシールラウトが上から見えなかったのも初めていた。これはこれで、魅力的な景観だと思う。
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登ってきた道を下って、また、雲海の中に突入した。雲海の上の太陽の周りにうっすらと虹のリングが見えていた。
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日が差してきたので、少しづつ、霧が晴れてゆく、ブロモの下に着いたときには馬が近づいてくるのが見えた。往復7万5千Rp、そして、乗馬の場所が。ヒンドゥー遺跡より遠くなっていた。駐車場が遠くにされていた。馬で階段の下まで行き、急な一直線の階段を登った。昨日の急坂の下り登りで、腿の筋肉が痛む、それでも、何とか、
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足が攣らずに到着できた。ま、変らない景色だ。霧の覆われていた下の景色が徐々にはっきりしてきた、30分ほど上にいて降りてくるときには、ほとんど、雲海は消え,砂海になっていた。階段の下から、馬に乗って駐車場まで、そこから、今日早朝通ってきた場所を引掛けす方向に向った。全く、見えなかった景色が、ハッキリしてくると、黄色い花の海になっていた。Bunga Ades Sabanaブロモ側もプロボリンゴ側も、斜面の途中まで黄色い絨毯が登っていた。

その一部の写真、ネットで紹介している写真と私の写真です。
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その一角にあった、テントレストランで食べたバソマランBaso Malang,ボリュームがあって、出汁Bunbuが美味しかった。2万Rp、安くてお腹いっぱい。
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早朝の道を引き返す途中、Coban Pelangi虹の滝に寄った。ここが、またちょっと下りが厳しかった。だから、登りも急、もう、どうでもなれて、下って上った。チョバンロンドに似ていたが、高さも幅もこちらの方の規模が大きかった。で、訪れている人は誰もいなかった。
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車の中で眠っている内にホテルに着いた。14時前、直ぐに眠ってしまった。目が覚めたのが18時、腿の筋肉の痛みが増していた。ベッドから降りる時、よろけてしまった。

とにかく、三日間の強行旅の強行部分は終った。あった人、一所に行動した人、皆さん、私の年齢を聞いてびっくり、それと、どこから?と聞かれて、答えないと、インドネシアの中の町の名前を言うから面白い。日本人というと、信じられないという顔をする。インドネシア人にしか見えないようだ。外国人と料金が違う場所でも、疑われることは全くなかった。キタスやシムを出す必要はなかった。

Magelang, tvOnenews.com - Untuk mengantisipasi penyebaran virus corona atau COVID-19, PT. Taman Wisata Candi Borobudur, Prambanan, dan Ratu Boko (Persero) menutup taman wisata candi untuk sementara bagi wisatawan. Wisatawan kini untuk sementara waktu tidak bisa berkunjung ke salah satu
マゲラン県は、コロナやCOVID-19ウイルスの拡散を予測する、PT.タマン・ウィサタ・チャンディ・ボロブドゥール、プランバナン、ラトゥ・ボコ(ペルセロ)は、観光客のためにしばらくの間寺院ツアーパークを閉鎖します。旅行者は一時的に訪問することができません。
タグ:花海 砂海 雲海
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(^_-)-☆トゥンパックセウ [旅]

 4078 ジャワ語で「千の泉、滝」という意味をもつTumpak Sewuを目指す。
 6時にホテルを出発、南ぬ向かう、ブリタールやスンダンビルへの案内板が出る。どちらも、既に何回か行っている場所だ、途中で、東に曲がる。ルマジャン方面だ。S字カーブの連続で、行く途中右手、北側にスメル山がそびえているのが見え隠れした。その道、石や岩や砂を満載したダンプカーとすれ違う。帰りは、そのトラックが遅いので邪魔だった。スメル山の麓から持ってくるのだという。良質だそうだ。

ホテルを出て2時間半、案内ゲートがある右側の狭い道に入るCoban Sewuと書いてある、途中の案内板もトゥンパック セウとは書いてなく、チョバン セウと書いてあった。10分ほど進むと、駐車場が左にあり、ドリアンの大木が目に入る。ワルンやホームステイなどの施設があり、一角で。入場料を払う場所があり、そこの人が話しかけてきて、滝までゆくのか、行くなら、一人10万Rpということで払った。すると、ガイドが出てきて、あそことココとそこへ行くには3時間掛かる、ガイドが絶対必要だと強調する。1時間半10万Rp、だから20万Rp払った。
直ぐに、降り口に向った、5分ほどで、展望台に付く、このが、いろいろなガイドブックやネットで紹介している写真の場所だ。見ろりしながら、あの滝の下まで降りる覚悟と、下りた時と同じ斜面を登ってくる覚悟を決めた。
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とにかく急だ。垂直の崖を、ちょっとした隙間に梯子を掛けたり、手すりで仕切ったり、ロープで、仕切ったりしてある。ただただ、つかまるだけ掴みながら降りてゆく、しかし、上から見えた滝はなかなか見えてこない、斜めの遠ざかっているのだった。途中から、崖からしみ出してきている水の沢が現れる。現地の人やガイドは靴を脱いだ方が寝れないし滑らないからと言って、ほとんどの人が靴も靴下も脱いで、裸足になっている、女性もだ。私は、裸足になったら裏が痛くて歩けないから、そのまま、靴はぐしゃぐしゃになった。仕方がない。そして。足もふらふらに、既になっていた。

滝からの水の沢に岸に迄降りた時、また、ここから先は有料と、1万Rp払った。そこで、コロナの関係で、今日が最後だから、運がいいねと言われた。そこを通ると、100mほど、先の寮側の崖の間に部分的に、あの上から見た滝の一部が見えてきた。
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来た来た、流石にある意味で。インドネシアNo1の滝だと私も思う。富士山の南、白糸の滝の幅3倍、高さは5倍以上ありそうだ。水量は10倍以上か。とにかくすごい、大変だったが来て良かったと思う。
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帰りは、下りてきた道ではなく、滝の水に沢沿いに少し下ると、また、かなりの規模の滝が目に入った。ここも、別の場所になれば、相当、有名な滝になると思う。その脇を上ると、その滝の途中に、鍾乳洞があった。ゴア テテスGoa tetesがあり、そこにもよったが、これが、また大変、階段状になった滝を上るからだ。足だけでなく、頭から水を被りながら、登る。も~~、いつ、登れなくなるかもしれないと思うような疲れだ。足が上がらない。もう無理やり上っている。どうでもなれと。滝を見上げながら、ここをまだ上るのかと聞いたら、ここは、これで終わり、一旦、下に下りて、帰りの登り口に行くという。何?せっかく上ったのに、下りるの?

滝の数々で感激はしたが、もしかしたら、登れなくなってしまうのではないか、したの沢迄行った乗りて、新しい登り口の下に着いた。階段になっていた。一段一段が高い。途中、休み休み何とか上って、途中、何か所もある休憩所、全てで休んだ。やっと、下り始めてから3時間半後にオジェックが待っている場所に到着した。歩けば、まだ30分ほど掛かるぞと言われ、オジェックに乗った。1万Rpで5分ほど緩やかだが凸凹の狭い坂を上って駐車場に着いた。
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ドリアンをすぐに食べた。美味しい、いつも食べている滅茶苦茶高い一個3千円位のモントンよりおいしいのじゃないかと思った。、色も濃い黄色、種も小さく食べつ部分が大きい。地元の種類だという。一個6万Rp500円もしない。一個,丸まる食べてしまった。

 年齢を聞かれてビックリされた。ここ、60歳以上は、入場禁止ななっているよだった。15歳もオーバーだ。
そういえば、日本のジェットコースター、60歳以上お断りが多いようですね。


疲れた、帰りの車の中、ほとんど眠っていた。でも、ホテルに着いたときには、疲れも足の痛みもなおっつぃ待っていた。明日は、ブロモを目指すために1時前の夜中に出発をする。
ブロモは閉鎖だよという情報が入っていたのでドライバーに電話で確認してもらったら、今週はまだ閉鎖のけっておになっていないという、バニュワンギのカワイジェンは、今日から閉鎖になったそうです。
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(^_-)-☆マラン起点 [旅]

 4077 5時に会社からタクシーで出発、ブカシティムール辺りまでは順調だったが、突然の渋滞、電光掲示板で、その先、チャワンも渋滞、アンチョール方面へも渋滞と出ていた。しばらく行くと、タンゲランを通ってタンジュンプリオク方面への有料道路が空いてそうだったので、北周りに進路を変えた。それが正解だった。7時半にはターミナル2に着いた。もし、そのまま、渋滞の跡を着いて言ったら、間に合わなかった鴨居知れない。分岐点の手前からの渋滞で良かった。
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チティリンク(ガルーダの子会社)のカウンターで殆どの人がマスクをしていた。やはり、ジャカルタは、危険地域と指定されたことに寄るなと思った。オンタイムで離陸、順調に11時前にはマランに到着した。飛行機から出てターミナルに入る手前で、体温センサーを向けられた。ここでも、警戒を一応しているなっと思った。しかし、ターミナルから出ると、マスクをしている人がほとんどいなかった。
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近くのタクシードライバーにコロナのことを聞いた。気にしていない、と言われた。マラン大学が閉鎖になったことを話したら、そんなこは、知らないと言われた。

半日タクシー、35万Rpで頼んで、以前行ったことがあるバトゥのチョバンロンドに行ってもらった。懐かしい、もう10年以上前だ、その時は、良い天気だった、ところが、今日はまだ雨季、毎日、夕方には雨が降っているという、雨が降らないうちにと、山を目指してもらった。間に合った、雨にはなっていなかった。まだ、滝が見えない場所まで霧雨が降っているような雰囲気だった。以前と変わらない水量で、豪快に落下していた。チョバンロンドとは、未亡人の滝という意味だそうな。何やら、難しそうな伝説を話そうとしてくれたが、途中から、突然の大雨になって、由来は聞き終わらなかった。
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http://otaenplaext.net/newpage151.html
下山して、マランからちょっとそれて、チャンディ(ヒンドゥーの遺跡)に寄った。ここも、以前,寄ったことがあった。雨の中、5分くらい、写真を撮っただけだった。以前の時は天気が良かったし、一日だったので、今日には物足りなかったが、一応、満足。
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マランのAria hotelに宿泊、ここを起点に、明日、1日でTumpak Sewuトゥンパックセウ迄往復する、そして、明後日は、ブロモへ往復をする予定だ。
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(^_-)-☆帰途 [旅]

 4048 渋滞を嫌い、また、会社で月曜の準備があるので、7時に出発の為、5時半に起床、ちょうど、サンライズの時間だった。ホテルは東海岸通り沿いなので、早くから日の出を見に多くの観光客が出てきている。
津波依頼、東海岸の砂浜が消えていたが、このごろは砂浜が少し回復していた、これなら、そう遠くない時期に、道路から出なく、砂浜で地引網を引く風景が見られそう。ヌサカンバンバン島の西海岸の中ほどから、見事なサンライズでした。久しぶりに見る、神神しさだった。
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ウミさんのワルンで朝食後、帰途に就く、早朝なので、車やバイクは少なく、ずっと、順調、雨季が終るころ、今が、田植えの時期でもある。終わったばかりの広大な田園風景は、インドネシアらしい。これらすべてが手植えだからすごい。何故か、快晴、80Kmくらい東のスラメット山が見えた、こんなことは珍しい。
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チレウニに差し掛かった時、昨日、道が変っていたと書いたが、真っ暗でその周囲がどうなっていたのか全く分からなかったが、今日は、クレーンが林立していた。この辺り、立体交差にするようだ。いつ、通っても、大渋滞で、どの車が、どの方面に向かうのかはっきりしない、いつも、車が入り混じっている場所だ。
aDSC07998.JPGバンドゥンバイパスに入ると、沿線沿い、すべてで中国高速鉄道の工事が、進んでいる。バンドゥン側の駅に位置もはっきりしてきた。ただし、ジャカルタ、カラワンの間とパダラランとチレウニ間は、平野地帯、カラワンからパダララン間は、山岳地帯、この間が、大問題になるでしょう。できるだけ直線にしなければならないので、トンネルと橋の連続になる。

6万Rpちょっと払って、チカンペック、ジャカルタ線に入った。大雨、前が見えない、ハザードランプを使っている来るかが多くなる。休日なので乗用車が多い、間もなく、カラワンバラットの手前、高架の高速道路の方に入る普通車がそちら側の車線で若干の渋滞になっている。大型車は、今までの道、私も同じ、こちらは、急に車が減った。大雨の中、十分な車間が取れる。チバトゥで出たが、出るときは、払わなかった。
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14時半に会社に入った。途中、ガソリン補給とトイレで7時間半だった。
タグ:日の出 砂浜
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(^_-)-☆無事戻った [旅]

 3927 19時に会社によって、車を受け取り帰宅したのは19時半、移動時間は、12時間くらい、今日は大したことなかった。
ゆっくり起き、と言っても、6時半だ。皆さん、眠っていられないらしい、年寄りは早起きだ。10時24分のフライト、8時にはタクシーで空港に向う、途中、土産物屋に30分ほどより、空港到着は、9時、余裕をもって到着、ところが、乗る便の到着が1時間以上遅れた。全く、もう!!インドネシア!!ウイングエアー!ボンバルビアのターボプロップ機だ。何年か目に墜落したことがったが、評判はいい機体のようだが、どうしたのでしょうかね。ちょっと、不安になった。
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 デンパサール経由、乗り継ぎ便には全く間に合わず、便を変えて、同じライオンエアーでジャカルタへ、12時半到着のつもりが、15時過ぎになってしまった。
 
皆さんはジャカルタに一泊なので、別のタクシーで空港から出発、ここで、さよならでした。皆さん、強行軍のなか、協力的でした。まだまだ、体力に自信がありそうな人たちでした。また、日本どこかで会えることを期待しつつの別れでした。

「来年の東京五輪・パラリンピックについて「(大会が)成功し、それを通じて日本社会が活気に満ちることを願う」と述べた。日韓関係の悪化で、韓国の一部では東京五輪をボイコットすべきだとの声も出ているが、韓国政府としてこうした考えを否定し、大会成功に協力していく姿勢を明確にした。」こんな記事を読んだ。
日本は、別に協力なんか望んでいない。ただ、何もしないで、何も言わないでいてくれればいい。
煩いから、日本は、ボイコットしてほしいと思っている人が多かったのに、今ごろ、何を言っているの、初心通り、ボイコットをしてもらった方がいいのにね。旭日旗もどきはどうするのでしょうかね。
北とのサッカー、南がいつもやっていることを北にやられた。目くそ鼻くそと言う事でしょ。共同チームで参加?って、変でしょ、共同ボイコットでしょ、参加していただくと、今のラグビーワールドカップのような雰囲気にはならないでしょう。
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ラブアンバジョのホテルの三階にキャンティンからの景色、下に小学校、丘の向こうに、下り一方通行の急坂が見える。
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ジャカルタから東に向かう高速道路、ブカシバラットの手前辺りに、今、建設中の両距離車用高速道路の登り口と降り口がある。カラワンバラットの向こうまで、乗り降りできない。
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(^_-)-☆クルムトゥ [旅]

 3925 妻の誕生日でした。この頃は、モンブランの誕生日ケーキを通販で送っている。何日間、同じ年だ。

 4時プンギナパンから出発し、クリムトゥへ、道が広く新しく舗装されていて、凸凹無しの快適に駐車場に到着、3回目、もう、すべてわかっている。真っ暗の中、ライトをつけて、皆さんを案内した。階段ができていて、私としては、高さがまちまちだし、間隔も一定していないので、歩幅を合わせるのに、いちいち意識をしなければならない、歩きにくかったが、他の人はどうだっただろうか。片側の階段がない部分を歩いた。真っ暗の中、30分ほど登ると、5時過ぎ、辺りが明るくなってきた。以前経験した、毒ガスの匂いもなく、最後の急な階段を上って頂上に到着、サンライズを10分ほど待った。
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 見事なサンライズ。と三つの火口湖、手前のメインの色は、以前と同じ青、向こうは以前、コーヒー色をしていたが、ちょっと濃い青色になっていた。右ももう一つは、黒っぽく見えた。ここは、日当たりがまだないので、そう見えたのかもしれない。
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 東に向かう途中の海岸沿い、崖崩れで、とことどころ、片側交互通行。
リンコ・スパイダー・ウェブ・ライス・フィールズLingko Spider Web Rice Fieldsには、時間が無くて、寄れなかった。
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(^_-)-☆二日目 [旅]

 3924 テンポラリー
エンデの先、モニに20時についたが、プンギナパンにWifiはない。町全体に無いという。と言うことで、今日と明日中は、ネットとは縁のない世界に入ってしまう。
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ホテルの名前はスプリングでした。早めの朝食をいただいて、7時に出発。目指すは、クルムトゥの麓の部落、モニ。一回目は、マウメレから、二回目は今回と同じ、ラブハンバジョからでした。12時半過ぎに途中の目的地、カンプン アダット(伝統的な部落)ベナbena に寄った。ここは、前回も寄っている。二回目だ。新しく建て替えたと思われる2棟以外は、当たり前だが、ほとんど変わっていない。
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この中に、カンプンアダットがある、真ん中ですが分かりますか、今は、当然、車もすぐ近くの駐車場まで入ることができる道が整備されているが、部落を作り始めたときは、ジャングル中をどう分けいたのか、考えさせられる。
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(^_-)-☆また、ミニ同級会 [旅]

 3923 10時前に空港で待ち合わせて、12時前にラブハンバジョへ出発、現地時間 15時頃到着、ホテルに入っただけだった。クリムトゥ迄行きには、一日足りないと言われて18日のフライトに変更したり、ミニバスの手配などで1時間掛かり、ラブハンバジョに泊まらず、出来るだけ近いところまで行っておこうと、ルテン迄来ている。到着は20時半ん、家を出てから15時間半になる。眠いが、メールの返事など、決まってすることはしなければならない。

http://otaenplaext.net/concept112.html
 ラブハンバジョの空港名はコモド、前回来た時の空港の建物は新しく建て替えられていた変えられていた、規模はは、全く小さいが、バリのターミナルなどを手掛けたデザイナーと同じだと思う。ただし、本当に、こじんまりとした小さい空港だ。
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 東む向かった、目的はクリクトゥの三つの色をしたか火口湖を見に行くためだ。前回私が行ったコースを、辿ることになりそうだ。道の補装は改善されていたが、当たり前だがルートは変っていない、上り下りは急だし、カーブも右往左往、Uターンカーブも多い、また、崖崩れの跡も、次々と出てくる、18時過ぎには、真っ暗な世界に入る。中央ラインの反射板を頼りに進む。また、こんな真っ暗のなかのこんな田舎の道なのに、ところどころにバイクが止められ人が立っている、何人かが立ち話?をしていて、それが、突然、目に入る。直前でよける、ロンソール(崖崩れ)の跡の盛り上がりもよける。そんな調子で、私は前回、車に酔ってしまったが、今回は、それでも、大丈夫だった。ところが、大丈夫でない人が二人いた。こんなところを行かなければならないことは全く予想していなかったので、とんでもないところだと思ったに違いない。皆さんの生活環境と状態の全く別世界だから。
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 ルテンにホテルは、敷地が広く、全体を、真っ暗で想像できないが、自然を利用した公園の中にある世に思う。明日の朝が楽しみだ。
 疲れてしまって、12時までは起きていることはできなかった。
タグ:田舎 難所 疲労
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(^_-)-☆会えた [旅]

 3791 ラマダン インドネシアでは、イスラム教徒にとって最大特別な日、機能う夜は、今朝まで賑やかだったが、今日は、早朝から、静か。大勢の人は、道端迄溢れて、モスジッドの周りでお祈りをしていた。10時ころには、普段の生活に戻るが、町全体が観光地、いつもの賑わいに戻る。私は、ちょっこっと、その様子を見て、ホテルにこもどってしまった。疲れが取れない。
 
 11時ころ目だ覚めて、約束の西海岸チャガールアラム入口へ行って、イワン君を待った。ラシッド君のすぐ下の弟、もう一人、一番下の弟、ビリー君も一緒だった。彼は、初めて会った時は2歳だった。昼前にチャガールアラムの入った。いつものコース、彼らより、私の方がよく知っている、そして、探し始めてすぐに、見つけた。あった。小さいが、何カ月ぶりだろうか、開いている状態に会ったのは、これは、もっと会えるかもしれないと、二時間ほど歩き回って探したが、これっきりだった。二週間後には、咲くだろうと思われる膨らんだ蕾を2個見つけただけだった。とにかく、逢えてよかった。
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 ただし、夢中になって歩き回ったからかどうか、とにかく、体中が痛いし、疲れがきつい。ジャングルから17時ころ出てきて、パサールイカンで食事、カンクン ウダンアッサムマニス、イカンバカール、イカンゴレン、チュミチュミゴレントゥプンなど、ラシッド君も呼んだ。
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そして、そこで、皆さんと別れて、西海岸のサンセットを見ながら帰途に就く、18時半すぎだった。明日、朝出発も考えたが、渋滞を気にして、早い方が良いと思い、夜中に走ることにした。

 ところが、夜中にもかかわらず、大渋滞にあってしまった。というか、バンドゥン方面から東に向かう、反対車線の車が大渋滞、そこで、こちら側の流れを、時々止めて、反対車線の車もこちらの車線に流しこんでいるからだった。この状態は、パンガンダランから続いていた。パンガンダランへ向かう車も既に渋滞していたし、チアミス、タスクマラヤでもチレニ―のゲートでも、例のできたばかりのチカンペックくたまのデートでも、そして、カラワン、デルタマスでも東に向かう車が道路全体をゆっくり流れて居た。何故でしょうか、ムディックの始まりの時より渋滞が酷いようだ。今は、高速道路、両方向になっているが、西方向の中央分離帯より車線を東方向の間移封している場所もあったが、それでも、この渋滞は異常だ、と、思いながら、何故?だろうか、ハリラヤの行事が済んで、一斉に、午後から、行楽地に出発したからでしょう、それにして、夜中の二時三時、ジャカルタから夕方から出てきて、やっと、チカンペック辺りに差し掛かっている大量の車、目的地が例えば、ジャティルフール辺りでも、10時間以上かかるそうだ。渋滞が無ければ、2時間で行ける観光地だ。
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 タシク付近 双方が大渋滞、こちらは被害渋滞だ。
 多分、ジャカルタの南、ボゴール、プンチャック方面も、大渋滞で、到達できり車は少ないと思う。

 私は7時間かかってやっとチレニ―のゲートから高速に入った。順調なら、チカランに戻っている時間だ。眠くて、居眠り運転気味だったので、ガソリンスタンドのトイレに寄ったとき、車の中で眠ってしまった。4時ころ目だ覚めて、一瞬、ここは、どこ?という感じだった。そこからは順調で、5時半に家に戻った。何もしないで眠ってしまった。結局、11時間掛かったことになる。
  

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